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世界の芸術と家庭 [25]

岸田 泰雅

母と子供たちの「エデンの園」

庭に憩う家族

庭に憩う家族

ボナール(1867−1947)の「庭に憩う家族」(1901年頃、チューリッヒ美術館蔵)という作品がある。やや中央に1人の夫人の姿があり、夫の姿はどこにあるのか分からない。描かれていないのかもしれない。よく見ると、庭のあちこちに散らばった小さな子供たちが、7、8人は描かれている。子供たちの姿はそれぞれ自由気儘、勝手な動きで、いかにも平和な風情である。

後期印象派の画家ピエール・ボナールは、よく「色彩の魔術師」という言葉で、その才能を謳われてきた。「庭に憩う家族」を見ても、色彩の魔術師らしいボナールの特徴が遺憾なく発揮されている。ゴーギャンを信奉し、「ナビ派」を結成したボナールであるが、ボナールの作品に見られる家庭的な平和感、日常生活的な充足感は、妻マルトへの愛と結婚生活の喜びの中から織り出されたものであろう。マルトは病弱で神経症を持っていた女性であったにもかかわらず、彼女への愛は深かった。妻マルトをモデルにした作品は、実に、380点に上る。ボナールの妻マルトへの愛は尽きることのない泉の湧出のようであったと言ってよいだろう。

ゴーギャンは、輪郭線を強調し、平坦な色面によって装飾的な画面を構成するという画法を採ったが、その手法をそのまま受け継いでいるのがボナールを中心とする「ナビ(預言者)派」である。それに加え、日本の浮世絵から学んだ大胆な構図や色遣いも特徴として現れる。その結果、画面が輝いているような独特の色彩効果が生み出されることになった。

ボナールの油彩画はどれもこれも、一言で言って、見ていて楽しく、平和で幸せな思いに満たされる。「庭に憩う家族」で言えば、描かれた夫人の横で、両手を広げて空を仰いでいる少女で象徴されるように、まるで踊っているかのような楽しさとでもいうべき人生の肯定感に包まれるのである。それがボナールの作品群である。画面全体を楽しく、とにかく楽しく描き出そうとするボナールの色遣いの意図は明らかである。ボナール自身、描きながら楽しんでいる様子が伝わってくる。法律の勉強を投げ捨て、画家の道を選んだボナールであるが、それこそがボナール自身の幸福、およびボナールが築き上げる家族の幸福への道であった。その幸福色の決め手は「白」と「黄」であった。

妻への愛の背後に隠された事情

ボナールの妻マルトへの愛は確かに深く、真実なものであったが、彼には生涯にわたって、消え去ることのない心の傷があった。それは2人の女性をモデルとして作品を制作した時、マルトともう1人の女性ルネを採用したのであるが、そのルネが自殺した出来事である。おそらく、ルネはボナールとの結婚を望んでいたのであろうが、ボナールはマルトと結婚した。このショッキングな出来事は、ボナールの心を深く痛めたものであったに違いない。

その裏返しと言っては申し訳ない気もするが、マルトを生涯に亘り献身的に愛する姿勢の中に、愛によって傷つけられた女性がどういうことを引き起こすかというボナールの不安な気持ちが隠されていると言ったら、言い過ぎであろうか。夫婦の愛の中に細心の注意を払うというボナールの姿が見える。

神経症の妻が病状の悪化をきたすと、療養のために転々とする生活も余儀なくされた。白と黄色を基調にして幸せ色の作品世界を創出したボナールであったが、そこにはマルトを護り続ける献身的なボナールがあり、無条件の幸福色はないことを語っているのである。なにがしかを人は克服していかなければならない運命を背負うという教訓である。

ボナールの意味深長な言葉、「すべてのことを忘れて陶酔するのが恋人同士だが、すべてのことを知って悦び合うのが友人同士である」という彼の洞察からすると、ボナールにとって、妻のマルトは恋人であったのか、友人であったのか。その二つともであったと信じたい。

絵画は一つの充足する小さな世界

ボナールの考える絵画とはどんなものか。彼の言葉に、「絵画は、一つの充足する小さな世界でなければならない」というのがある。「庭に憩う家族」を見ると、背の高い木立があり、草花の植え込みがあり、寝そべることのできる草原(くさはら)もあり、テーブルも置かれており、椅子もある。描かれた庭自体が、充足する小さな「エデンの園」と言ってよい。そこに母親と子供たちが「エデンの園」を楽しむ主人公として描かれる。これでボナールの言う「絵画は一つの充足する小さな世界」が出来上がる。小さな完結的世界は自然と人間の融合が必要であり、ボナールはその定石をしっかりと守っている。