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親日・国際家庭インタビュー 〔23〕

石井康博さん

地球を挟み進んだ異文化理解

日伯国旗

私の妻は熱心なカトリック教徒の家族で13人兄弟の11番目として生まれました。家は規律が厳しく、昔からのブラジルの伝統を重んじ、よく守っている家庭でした。例を挙げれば、食事の際はまずお父さんがお祈りをして、その後ナイフとフォークで食事を始めない限り、子供たちは食事をすることはできませんでした。また、結婚の際には結婚相手をお父さんのところに連れていき、お父さんから許可をもらわない限り、結婚できませんでした。地元の教会には熱心に通い、日曜のミサには欠かさず参加する、神父さんの信頼の厚い家庭でした。

最初に妻の実家を訪問した時のことを今でも覚えています。その時は私のことをお父さんに気に入ってもらえるかどうか、心配で緊張していました。しかし、会った時に、あまり言葉が通じなかったのですが、大変気に入っていただき、「君のような日本人の婿ができて嬉しい」と言ってくださいました。妻の兄弟達からも歓迎してもらい、家族の一員として温かく迎えていただきました。私自身は一人息子として育ち、兄弟がおらず、家でいつもさみしい思いをしていたので、妻の12人の兄弟が全員私の義理の兄弟になったことをとても嬉しく思いました。

ブラジルで広がる日本文化

ブラジルにはもともと日本からの移民の子孫である日系人がたくさんいます。彼らは今でも祖先の土地である日本の文化と伝統をよく守っています。その最初の移民はたいへんな苦労をしました。日本では南の楽園と言われていたブラジルで、自分の好きな農業ができると思って移民したのですが、実際には農場で貧しい暮らしから始めなければならず、またマラリアなどの伝染病で多くの移民が命を落とすなど、当初は日本で描いていた夢とはかけ離れた生活でした。しかし日本人特有の勤勉さから、農業、そしてその他の分野で成功を収め、周りからも徐々に評価されるようになり、その社会的地位を築いていった歴史があります。

今では日系人といえば、高学歴で比較的豊かな暮らしをしていて、その勤勉さと正直な生き方から社会的に尊敬されるようになっています。それゆえ、今日では一般のブラジル人の間でも日本文化、寿司をはじめとした日本食、祭り、着物、柔道、空手、剣道、書道、仏教などに関心を持つ人が多くなりました。特に、寿司レストランはまさにブームと言っても過言でないほど人気があります。妻の家族でも、5番目の姉が日系3世と結婚しており、やはり日本の文化と伝統を受け継いだ家庭を築いています。また、8番目の兄は幼いころから空手を学び、選手権大会に出るぐらい打ち込みました。それが縁になり、今では日本製品を販売する会社を経営しています。

妻の両親も日本に関心があり、日本人に対して大変良いイメージを持っていました。

ポルトガル語を勉強した母

一方、私たち夫婦が一緒になった当初、私の両親は、妻が外国人ということで少なからず抵抗がありました。やはり言葉が通じないのと、文化が違うというのは私の両親にとって何か一つの目に見えない壁があるように感じたようです。しかしながら接していく中でお互いの心が通じるようになり、妻や妻の国、ブラジルに関心を持つようになりました。私の母に至っては、英語でさえもろくに知らなかったのに、少しでもコミュニケーションをしようと、NHKの講座、本などを通してポルトガル語を勉強するようになりました。また父も「これからはサッカーではブラジルを応援する」と言って、2002年の日韓W杯の時からブラジルのサッカーの試合があると必ず見て、応援するようになりました。このように私の家族の中でも小さいながらも文化交流が進んで、お互いに理解しあうようになりました。私たちはブラジルに住み、両親は日本に住んでいて、お互い地球の裏側にいてもそういった距離を感じさせないくらい心が通じる様になってました。

やがて、ポルトガル語を勉強して、妻や私たちの子供たちと一所懸命片言でコミュニケーションをしていた母も他界し、そして子供たちも大きくなったある日、私の伯父から緊急の連絡がありました。それは父が倒れてしまい、身動きできず瀕死の状態であるというものでした。私は目の前が真っ暗になり、ブラジルの地から急いで支度をして日本へ帰りました。その時は、私の頭の中では、「私は一人息子なので、もはや父をこれ以上日本に独りにしておくことはできない。私は日本へ帰らないといけないかもしれない。ただ、ここに家族を残して一人で帰ることは家族にとって災難である」という考えがよぎっていました。そんな様子を見た妻が私の考えを察したかのように、「もし必要なら私は日本に住んでも構いません。お義父さんをこれ以上独りにしないようにしましょう」と言ってくれました。私の人生にとってこれ以上妻の存在がありがたいと思ったことはありません。そして子供たちにも話したら、皆が賛成してくれました。

幸いにして父は一命を取り留め、長期間入院の後無事に退院して、今では多少体が不自由ながら家で生活できるくらい回復しました。そして私たちの家族も、父と一緒に親子三代で一緒に住むようになりました。日本とブラジルでは文化や風習が全く違いますが、お互いに理解しあい、心が一つになれば、一緒に仲良く暮らすことができるということを実感しています。このように自分の生活環境を犠牲にしても私の父の為に日本に来てくれた妻と子供たちに今でも感謝しています。