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愛の知恵袋 102

家庭問題トータルカウンセラー 松本 雄司

一人の女性が結んだ日米の絆

救援に全力を尽くしてくれた米軍

2011年3月11日、東日本を巨大な地震と津波が襲いました。自衛隊や警察や消防が必死の救援活動をしてくれたことは周知の通りですが、実は、在日アメリカ軍も直ちに現場に急行し、瓦礫(がれき)の除去や多くの救援物資を届けるなど懸命の救援活動をしてくれました。「トモダチ作戦」と名付けられた米軍の緊急支援活動です。

特に、最も早く被災地に着き、昼夜を問わず救援活動をしたのが、米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」でした。驚くことに、この艦は任務のため韓国に向かっていたのですが、艦長の独断で直ちに針路を変更し、日本の被災地に向かったのです。米海軍がこのように日本に強い友情を持っている背景には、ある物語がありました。

一輪の花から始まった出会い

太平洋戦争の終結から5年後の1950年9月、朝鮮戦争勃発の直後のことです。

まだ戦争の傷跡が残る日本に、占領軍の海軍副長として一人の軍人が赴任してきました。アメリカ海軍の提督、アーレイ・バークです。

バークは太平洋戦争中、日米合わせて9万人以上もの犠牲者を出した激戦「ソロモン海戦」をはじめ、駆逐艦の艦長として日本海軍と死闘を重ねてきた猛将でした。

バーク提督が初めて東京の帝国ホテルにチェックインした時、従業員が「荷物をお持ちいたします」というと、「やめてくれ。最低限のこと以外は、私に関わるな!」と語気を荒げました。彼は日本人が大嫌いだったのです。

日本軍の真珠湾攻撃によって親友を失い、以後、続いた戦争で多くの仲間と部下を失ったため、敵であった日本人には激しい憎悪と敵対心を持っていました。

彼は公の場でも日本人を「ジャップ」「イエロー・モンキー」と呼び、日本人を軽蔑していました。ホテルでは日本人従業員が話しかけても、一切無視しました。

日本に来て1か月ほど経ったある日、部屋があまりにも殺風景だったので、バークは一輪の花を買ってきてコップに差しました。

翌日、部屋に戻ってみると、その花が花瓶に移されていました。

バークはムッとしてフロントに行き、「なぜ、余計なことをした。誰が花を花瓶に移せと言った!」と苦情を言いました。

しかし、ホテル側は誰も指示した覚えがなく、誰がしたのかもわかりませんでした。

それから数日後。今度は花瓶に新しい花が添えて生けられていました。そして、その後も誰の仕業かわからないまま、花は増え続け、部屋を華やかにしていきました。

バークは再びフロントへ行き、「花を飾っているのは誰なのか、探してくれ」と頼みました。調べた結果、花を飾っていたのは部屋を担当していた女性従業員でした。それを知ったバークは、彼女を呼んで問い詰めました。

「君は、なぜこんなことをしたのかね?」

「花がお好きだと思いまして……」

彼女は乏しい給料の中から花を買い、バークの部屋に飾っていたのです。

「そうか…。ならば、君のしたことにお金を払わねばならない。受け取りたまえ」

「お金は受け取れません。私はお客様にただ居心地よく過ごしていただきたいと思っただけなんですから…」

提督の心を動かしたもの

このあと、彼女の身の上を聞いて、バークは驚きました。彼女は戦争未亡人で、亡き夫は駆逐艦の艦長で、ソロモン海戦で撃沈され、乗艦と運命を共にしたのでした。

バークは絶句し、「御主人を殺したのは、私かもしれない」と謝りました。

すると、彼女は毅然としてこう言いました。「提督。提督と夫が戦い、もし提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。誰も悪いわけではありません」。

この日から、バークの日本人に対する見方は一変したのです。

さらに、彼はふとしたことで知り合った元海軍中将・草鹿任一(くさかじんいち)と親交を持つに及んで、双方共に心から敬意を抱く関係になり、より一層の親日家になっていきました。

彼は一刻も早く米軍の日本占領を終わらせ、日本の独立を回復するようにアメリカ政府に熱心に働きかけるようになりました。また、日本の独立と東アジアの平和を維持するために、防衛力の整備を進言し、海上自衛隊の創設に力を尽くしました。

それらの数々の功績で、バークは日本から最高の勲章である「勲一等旭日大綬章」を贈られました。米国はもちろん各国から数多くの勲章を授与されていたバークでしたが、1991年、彼が94歳で亡くなった時、棺(ひつぎ)に横たわる彼の胸にはただ一つ、日本の勲章だけが付けられていました。それは本人の遺言でした。

こうして、米国海軍と海上自衛隊には、新たな”海の友情”が築かれてきました。

アーレイ・バーク提督。彼の胸を揺さぶったのは、「汝の敵を愛せよ」というイエスの金言を、キリスト教国で育った本人よりも、日本人の一女性が身をもって体現していたことであったのかもしれません。


【参考文献】『海の友情—米国海軍と海上自衛隊』阿川尚之(中公新書)