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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

思うだけで心が弾む東京・深川の富岡八幡宮の巨大横綱碑に刻印される「稀勢の里」のしこ名

宝暦13年(1763)11月15日、朝五ッ(午前8時)前。

玉枝は薄紅色の紬(つむぎ)にこげ茶色の帯を締めて、富岡八幡宮の大鳥居に立っていた。秀弥の四十九日法要も終わったことで、ふっと八幡宮を歩く気になった。

大鳥居から本殿にかけては、石畳が続いている。

作家・山本一力氏の作品には江戸の下町に暮らす人々の生活や人情・情緒を描いた時代小説が数多い。なかでも深川の料亭「江戸屋」の女将・秀弥(ひでや)を主人公に、代々受け継がれる江戸の女の心意気を描いた物語は私のイチ押し。冒頭はそんな作品のひとつ『梅咲きぬ』(文春文庫)の一節である。

小説の舞台である富岡八幡宮を訪れたのは、立春を過ぎて間もない北風のビュンビュン吹き荒れた日だった。東京・中野駅と千葉・西船橋駅を結んで都内を東西に横断するメトロ東西線の門前仲町駅で下車してすぐのところにある。

鳥居から本殿への石畳の道が続くのは今も変わらないが、大鳥居をくぐると左手に立つ伊能忠敬銅像(平成13年10月建立)が目を引く。近代日本地図の始祖は宮近くの黒江町(今の門前仲町一丁目)に隠宅を構え、約200年前の蝦夷(えぞ)(北海道)測量の旅はここに参拝してから出発した、と記された謂(いわ)れを見ていると、後ろから老人に「さっき、隠岐の海が来てたよ」とまるで知り合いのように声をかけられた。

石畳をはさんだ向こう(東側)には大関碑などが建つが、こちらはパス。一路、本殿右手の渡り廊下の下をくぐり、右奥に鎮座する巨大石碑の前に立った。約20トンの石碑正面には「横綱力士碑」「明治28年3月吉日」の文字が刻まれている。

ここは貞享(じょうきょう)元年(1684)に遡(さかのぼ)る江戸勧進相撲発祥の地で、巨石碑の後ろには初代横綱・明石志賀之助から45代・若乃花勝治までのしこ名が刻印されている。

46代・朝潮太郎から65代・貴乃花、66代・若乃花までは、その右に立つ石碑正面に刻まれ、裏面には67代・武蔵丸に始まり、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜まで5代続いた外国人横綱のしこ名が並ぶのをじっとながめていた。

その次のマスには、いよいよ春場所後に日本人新横綱「稀勢の里」のしこ名が刻まれることになる。それを思うだけ、心がわくわくと弾んでくるのである。