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世界の芸術と家庭 [27]

岸田 泰雅

夫婦の美的な理想像を追求

「温室にて」くつろぐ夫妻

温室にて
温室にて(1878-79年、ベルリン国立美術館所属)

エドゥアール・マネ(1832—83)の作品に「温室にて」という画がある。描かれているのはマネの友人、ジュール・ギュメ夫妻で、サントノーレ街でブティックを営んでいる夫妻がモデルとなっている。パリのサントノーレ通りと言えば、セーヌ川と並行している通りで、コンコルド広場やチュイルリー庭園などが近接しており、パリの一等地であるから、当然、ここでブティック(ドレスショップ)を営んでいるギュメ夫妻は、パリ社交界に出入りする夫妻と見なければならない。

描かれた夫妻を観察すると、夫のジュール・ギュメ氏は、柵の向こう側から身を乗り出して、妻の方へ視線を注いでいる。しかし、ギュメ夫人は夫の視線に応えるような姿というわけでもなく、真っ直ぐに正面を見据えたままである。ギュメ氏とその夫人の姿は、1870年代に描かれた他の多くの画家たちの作品に見られるように、夫に対する無関心の態度が、まるで上流階級の女性たちの自意識であるかのように描く作風の流行があったのだが、そのことを裏付けるような作品になっている。

温室内に茂る植物が異国的な情緒を醸し出しているが、その中で、画面の中央に夫と妻の手が並び、それぞれの指に結婚指輪がはっきりと描かれている。全体的に、落ち着いた色調であるが、色彩は鮮やかで、夫人の黄色い帽子と膝に乗せた白い日傘をアクセントにしながら、きっちりと着こなしているファッショナブルな衣装、背景に描かれた植物など、一つ一つが鮮明に描いてある。ギュメ夫人は美しい女性であるが、その表情をよく見ると、幾分、クールな顔つきで、プライドも高そうである。

近代西洋絵画史の始まりを飾るマネ

19世紀を代表するフランスのクールベとマネ、この二人は近代西洋絵画史の嚆矢(こうし)とされるのであるが、その特徴は写実主義にある。マネの場合、彼の写実主義の源泉は、スペインの画家ベラスケスから受けた影響によるところが大きい。「温室にて」を見ても分かる通り、筆遣いにベラスケス風のタッチが感じられる。「笛を吹く少年」や「バルコニー」、「フォリー・ベルジェールのバー」などを見ると、マネの写実主義精神の持ち味がそれらの画の中に見て取れるのである。

マネの写実主義を掘り下げると、結局、古典派の作品への愛着に辿り着く。事実、マネは写実精神を重んじるその根底に古典派への敬慕を抱いていた。その理由として、マネの生まれ育った環境的な要因がある。ルーヴル美術館に近いところで、謹厳な法務省の高級官僚の息子として生まれ、幼い時からルーヴル美術館へ足を運んで、数多くの古典絵画作品に触れていたことがマネの絵画意識を形成したと思われる。

しかし、また、マネが印象派の元祖みたいに言われるのを見ると、マネの作品には、新しい作画精神が宿っていたとも言えよう。「チュイルリー公園の音楽祭」や「ナナ」、「新聞を読む女性」などを見るとき、写実主義から印象派の画壇へと橋渡しを行った画家として、マネが印象派の父と呼ばれる理由も頷(うなず)ける。

一般的に、現在ではマネの評価は非常に高く揺るぎない。マネの「春」(日傘をさした貴婦人を描いた画)という作品が、75億円で落札されたなどのニュースに触れると、マネの絵画作品への熱烈な思いを持つ人々がいることが分かる。

19世紀末のパリの心象風景

根っからのパリっ子であったマネが、詩人のボードレール、マラルメ、小説家のゾラなどと親交を深くしていたことはよく知られているが、マネもまた、彼自身が語った「ご婦人を、社交界を、街のざわめきを、光を、色を愛した」という言葉通りの作品を生み出したのであった。マネは、お洒落で軽妙洒脱(しゃだつ)なパリ紳士と言っても間違いではなかろう。

概して、夫婦の姿が描かれた作品は、肉眼ではなく、「心の目」で見て分かるその夫婦の愛の世界というものが何となく伝わってくるものである。「温室にて」で描かれたギュメ夫妻はパリの大都会の一等地でブティックを営む二人であり、社交界への出入りもある夫婦である。1870年代のパリの雰囲気をそのまま背負っている夫婦と言える。夫婦ともども、お洒落に、ファッショナブルに、身を包んで人生を送っている。そのギュメ夫妻とマネ自身とは、ライフスタイルにおいて、精神世界において、極めて近い距離にあったと思われる。

パリの街に頽廃(たいはい)の香りがなければ、美的に過ごす夫婦というものは人生の一つの理想である。夫人たちを多く描いたマネの本音は、美的な夫婦の理想像とは何かを追求する人生ではなかったか。そんな気がしてならないのである。