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芸術と家庭・・・文学編

長島光央

宮沢賢治の兄妹愛

宮沢賢治の「永訣の朝」

宮沢賢治

東西の文学作品の中に描かれた家族、家庭の姿は興味深いものです。小説、詩歌、自伝、評論など、様々な作品の形式はありますが、家族を描く、家庭を描くというのは、良くも悪くも、作者の人間性が、偽りなく正直に現れます。それが怖いので、家庭や家族をテーマにした作品を書かない作家、フィクション(作り話)の世界に生きる作家もいますが、やはり、何らかの形で、どこかで、家庭、家族について書くという文学者たちの傾向が見られます。それだけ、家庭、家族という問題は、人間の意識の中にかき消すことのできない場所として強く焼き付いており、家族間における一人ひとりとの人間関係が思い出として魂に深く刻印されているわけです。いわば、作家の人間形成の場として、家庭、家族が原初的にあったわけですから、作品の中に、強弱、濃淡こそあれ、家庭の現実と理想についてペンを走らせることになるのです。

宮沢賢治は、非常に、独特な言葉の言い回しで作品を書く比類のない文学者と言えましょう。ファンも大勢います。現実とファンタジーが入り混じるユニークな彼の作品群は、読んでいて楽しく、また、哀愁もあり、さらには、東洋的なのか西洋的なのか、地球なのか宇宙なのか、時空間不明の夢の世界を紡ぎます。賢治の本音の世界、ストレートに彼の魂が表出する作品は、主に、詩の中にあると言えます。「春と修羅(しゅら)」と称する詩集は、一、二、三、四の四部構成の長編詩ですが、「春と修羅(一)」の中に、「永訣(えいけつ)の朝」というのがあり、これを読むと、兄と妹(賢治とトシ)の兄妹愛に感動しないではいられません。永訣というのは、永遠の別れという意味です。すなわち、妹のトシが亡くなるときの詩です。

悲しく、美しく、清らかな賢治の詩

妹のトシは病床に臥(ふ)し、24歳の若さで亡くなります。その妹が死の直前、兄の賢治に頼んだことは、お椀の中に雪を盛ってきてほしいというものでした。妹のトシ(詩の中では、とし子)は聡明で知られ、高等女学校は1年次より卒業まで首席を通し、卒業式では総代として答辞を述べました。大学を卒業したのちに、母校の教諭として英語と家事(家庭科)を担当するようになっていたのですが、そのような矢先に倒れて亡くなります。元来、丈夫ではなく、スペイン風邪、肺炎、結核など、病魔が彼女を襲いました。

「永訣の朝」の中で、賢治は「けふのうちに とほくへいつてしまふ わたくしのいもうとよ」と書き出し、「みぞれがふつて おもては へんにあかるいのだ」と続け、「うすあかく いつそう陰惨(いんさん)な雲から みぞれはびちよびちよ ふつてくる」と綴ります。トシに頼まれた雪をお椀の中に取ってきて賢治は言う。「ああとし子 死ぬといふいまごろになつて わたくしを いつしやう あかるくするために こんなさつぱりした 雪のひとわんを おまへは わたくしにたのんだのだ」。さらに「とざされた病室の くらいびやうぶやかやのなかに やさしくあをじろく燃えてゐる わたくしのけなげないもうとよ」と詩の中で妹に呼びかける。「この雪はどこをえらばうにも あんまり どこも まつしろなのだ あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ」と、賢治は雪の白さを称えます。

純白の雪になぞらえた兄妹愛

部分的引用ですから、詩の全体は読者の皆様に読んでもらうしかありませんが、悲しさと美しさを、賢治はトシが取ってきてほしいと頼んだ雪に擬するのです。トシが母に宛てた手紙が遺っています。「私は人の真似ハせず、出来る丈け大きい強い正しい者になりたいと思ひます。御父様や兄様方のなさる事に何かお役に立つやうに、そして生まれた甲斐の一番あるやうにもとめて行きたいと存じて居ります。」このような孝行の心を抱きながら何もできないまま逝ってしまった聡明な妹のことを、賢治をはじめ家族の者がどのように思ったか、そのことを考えただけでも、トシの死は多くの人々の涙を誘うのです。

雪の季節の東北は、とりわけ、賢治の故郷である岩手の花巻あたりは凍てつく寒さでしょう。雪の白さを単純に美しさの象徴に集約させることはできません。賢治の当時、陰惨な生活の厳しさが東北の冬にあったことを思えば、悲しみもまた雪の代名詞になるのだという思いが湧き上がります。悲しすぎて美しい純白の雪、これが賢治からトシへの永訣の朝の贈り物であったのかもしれません。そして、その雪こそは、「お兄さん、わたしのために、このお椀の中に雪を一杯詰めて取ってきてほしいの。」というトシの要望でもあったのだと思い直すとき、賢治とトシの兄妹愛は雪の美しさと悲しさで結ばれた永遠の愛でした。今ごろ、二人は、あちらの世界で、手をつなぎ、一面の雪の銀世界を駆け回っているのかもしれません。合掌。