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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

高齢者がどう生きるのか大いに示唆される曽野綾子さんの産経連載「透明な歳月の光」

ものごとを捉え、観察する眼の確かさ、鋭さ、細かさ、深さなど観察する力と、それをイメージとして膨らませて彩り豊かに表現する文章力が的確で美しく、かつ優れて奥深いのが作家だと思う。表現は小説だけとは限らない。

作家の曽野綾子さんが産経新聞オピニオン面に長期連載中(毎週水曜日)の「透明な歳月の光」は、私が好読している読み物の一つである。勝手に解釈すると、83歳という老境にある作家は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)で痛む背中と折り合いをつけながら過ごす、何気ない日常生活の一端から感じること、思うことなどを意気軒昂(けんこう)な様子で綴っているようなのが面白い。

90歳を目前に他界した家内の母親は「老人のことは老人になってみないと分からない」と言うのが口癖だったが、老人になってどんなことが分かったのかは聞かず、語らずじまいだった。超高齢化社会に突き進んでいる日本は、もっと高齢者のことを理解していく必要に迫られている。だから、高齢者がもっと自らを語るべきであり、表現者は高齢者のことをもっとテーマに取り上げてもらいたいと思う。

「透明な歳月の光」の中でも第753回(産経6月28日付)は、とりわけ面白かった。内容の全ては、図書館に足を運んででもバックナンバーを読んでもらいたい(それだけの価値は十分にあると思う)。テーマは「転倒と春菊」で、〈転んでもタダでは起きない〉出来ごとについて綴っていた。

家庭菜園の庭の芝生で転んだ曽野さんは頭を軽く打ちつけ、肩と擦りむいた膝を痛めたが、あわてて騒いで起き上がることをしなかった。痛みを抑えるために、わざとしばらく転んだままで空を見ていた。視線を畑の縁の春菊に移すと、初めて見た地面に近い「視線の位置で、春菊畑が森に見えないでもないのがおもしろかった」と観察を楽しむ心の持ちよう。そのうち「どうせなら倒れたまま、春菊を摘もうと考えると、思いのほかうまくいった」。背中を曲げる必要もなく「密植している部分か、徒長している株を抜けば、自然に手早く間引きができる」と続く。高齢者のさまざまな人生がある中で、曽野さんの記す日常生活とその考察の一端は大いに示唆に富んでいる。暦では秋が立つ8月だが、気候はまだ夏のままである。

〈炎天の地上花あり百日紅(さるすべり)〉 高浜虚子