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芸術と家庭・・・絵画編(2)

岸田泰雅

愛と財の合一が家族の平和

マサイスの画「両替商とその妻」

両替商とその妻
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クエンティン・マサイス(1465ー1530)は、フランドル(オランダ南部・ベルギー西部・フランス北部の地域)の画家である。彼の画に「両替商とその妻」(1514年油彩画、ルーヴル美術館蔵)というものがある。

両替商を描くというのは絵画史上珍しい作品であり、貨幣を握って注意深く天秤で量っている夫を、脇から覗(のぞ)き込んでいる妻の姿が描かれている。妻は読書の最中であり、ページをめくる手を止めている。読んでいる本は聖書(時祷書)である。鏡には教会の尖塔が映っている。夫婦はどちらも、地味な顔立ちで、細かいところに気を配り、慎重で、注意深い性質の持ち主であるようだ。

マサイスの父親は鍛冶屋を営んでいたが、マサイスは家業を継ぐことなく、工房で修業したのち、26 歳(1491年)で画家組合に親方としての登録を済ませ、そののち、画家としての名声を上げていく。2回結婚しているが、最初の妻との間に3人、再婚の妻との間に10人、合計13人の子宝に恵まれている。

クエンティン・マサイスは宗教画と風俗画の両分野で数多くの傑作を残しており、北ヨーロッパに広がったルネサンス運動、いわゆる、北方ルネサンスの一翼を担った人物の一人として重要な働きをなした。イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を強く受けていると言われ、また、ほぼ同時代を生きた人文主義者エラスムス(1466ー1536)と親交を持ち、エラスムスの肖像を描いたりもしているが、マサイスの風俗画の中には、しばしば、エラスムスの『愚神礼賛』的な内容のユーモアと風刺の傾向が見られると言われてきた。

マサイスの「両替商とその妻」の画に、貨幣を扱う人間の生業(なりわい)に対して何らかの風刺を込めているのかどうか定かではないが、どういう動機で両替商の夫婦を描いたのか。17世紀の報告書によると、この絵の最初の額縁には「汝、正しい天秤、正しい重りを用いるべし」(レビ記19:35、36)の言葉が刻まれていたというから、それが確かであるとすれば、マサイスは当時、商業都市として繁栄していたオランダに台頭していた両替商に対し、道徳的な批判の意味を込めていたとも取れるだろう。

貨幣経済の中心となったフランドル

貨幣をどう見るか、価値視するのか、軽蔑視するかは置くとしても、フランドル地方、すなわち、オランダ・ベルギーが一時、世界の貨幣経済の一大中心地になったという歴史上の事実は動かすことができない。古代のヨーロッパをみると、フェニキア、ギリシア、ローマなど、両替商の存在とその活躍の歴史は古い。中世はヨーロッパ自体の商業衰退で貨幣経済の活発さは、さほど見られないものの、東方からの貨幣流入は続き、12世紀ごろからフランスやイタリアで両替商の活躍が見られるようになった。

特に、イタリアのジェノヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェの両替商は、十字軍への援助をきっかけにイングランド、フランドル、シャンパーニュなど北ヨーロッパ経済の主要都市に進出し、10分の1税の徴税と輸送業務、為替業務を兼務し、のちの銀行業務の母体となった。中世後期になると、フランドル、スイス、カタロニアにも両替商が勃興して、やがて銀行業へと転進するのである。

大航海時代(15−17世紀)に入り、金融の中心は北イタリアからフランドル地方のアントウェルペン、アムステルダムへと移った。そののち、ロンドンが金融の中心となって20世紀にまで至るのである。この歴史的経緯を知るならば、マサイスの「両替商とその妻」は、フランドルが貨幣経済の中心に位置したまさにその時代の証言となり、興味深い。

貨幣を見つめる夫婦の表情は非常に真剣である。各国の商人が行き交うアントウェルペンやアムステルダムの街のあちこちに両替商たちがいて商いをしており、いろいろな国の貨幣が集まっていた。貨幣交換のために、貨幣を吟味し、量る仕事は両替商にとって重要なものだった。そこには当然、手数料や利子も介在していた。

貨幣は愛を運ぶ、それとも悪徳を誘う?

マサイスの意図はともあれ、今日では貨幣は必要不可欠なものとなっている。人類社会が、貨幣経済という仕組みを採用したからである。

聖書を読む妻と貨幣を量る夫は、16世紀当時の感覚で言えば、妻の「聖」、夫の「俗」である。しかし、妻は夫の貨幣の量りを凝視している。夫の稼ぎで妻も生きているわけで、俗を否定しきれない聖に立つ妻なのかもしれない。愛を運ぶ財は家族の幸福である、精神(愛)と物質(財)の合一が家族の平和である、これが普遍の真理なのかもしれない。