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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

東京五輪パラリンピックでは、障害を持つ人たちの生活の質を向上させた成熟社会の姿を示すことも

お膳立てした娘ふたりと孫とともに、重い腰を上げて家内の車いすを押した。日本を代表する保養地の軽井沢(長野県)で英気を養ったのは、8月も最後の3日間のことであった。前に初めて来たとき、新幹線の標高900メートルの高原駅ホームに降り立っただけで、空気と風が都会とまるで違うのを感じて驚いたが、初めてきた家内も細胞が同じように感じ、心を弾ませた。それだけで、頑張って来た甲斐があるというものだ。

東京から1時間ちょっとであるが、車いすの家内を伴っての旅行は初めてであった。東京・調布から京王線で新宿駅に、新宿からはJR中央線で東京駅、そして長野新幹線〈あさま〉と乗り継ぐ。その都度、駅では駅員が電車とホームの段差を車いすが通れるように橋板をかけてくれる。乗車駅からの連絡で、降車駅でもドアの前で駅員が待機している。改札からホームへの連絡エレベーターまでの道が分かりにくい新宿駅では、駅員のエスコートでうろうろしないですんだ。お陰で快適な小旅行を満喫したのである。

ホームで車いすの人をサポートする駅員の姿は日常、よく見かける光景だが、初めて当事者の関係者になってみて、その有難さを実感した。これが公共交通機関で普通に行われているように、日常生活のさまざまなところでも障害者らが難なく暮らしていけるように社会のバリアフリー化をもっと進化させてほしいと思った。

3年後に迫った東京五輪パラリンピックの開催では、競技とその運営の成功だけが日本をアピールすることではない。海外からの人々に、障害を持つ人たちが普通の生活の質を向上させて暮らせる、未来の成熟した文明社会の姿を示すことも求められるのである。

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話を軽井沢に戻すと、ここは約130年前に宣教師のA・クロフト・ショーが森と風と空気のすばらしい魅力を発見し、『屋根のない病院』と絶賛したのが始まり。ショーは言葉だけでなく、軽井沢に自らの別荘を建てた第1号となった。これにジブリの映画『風立ちぬ』の原作者で昭和初期の作家・堀辰雄や同時期の詩人・立原道造はじめ室生犀星らゆかりの文人らの文化発信が加わり、自然と文化の軽井沢ブランドを確立してきたのだ。

宿泊したログホテル塩沢の森は、山小屋造り風の建物が並ぶ。そのテラスに腰掛け、昼は林を抜ける光、風と空気、夜は輝く星と月をながめ、コオロギなどの集(すだ)く虫の音に慰められて過ごす。たまには何にもしない非日常も悪くない。