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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

日向ぼっこする公園のベンチで浮かんできた「方丈記」の一節

〈大空の片隅にある冬日かな〉高浜虚子

春、夏、秋が過ぎ去り、今年もはや季節は冬、師走を迎えようとしている。

この時期になると、毎年同じことを感じるようになった。時の流れる早さに驚かされるのである。それに冬の柔らかで弱々しい日差しの中で感じる透明で澄み切った空気は、やはり冷たい。

季節の移ろいの中で、人も年輪を重ねていくのを避けられない。日向(ひなた)ぼっこする公園のベンチで、当たり前のことを思いながら辺りをぼんやりと眺めていると、「方丈記」の一節が浮かんでくる。

「——ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

別に鴨長明のように世捨て人の心持になったわけではないが、枯れつつある心境とフィットするところはある。

〈年は唯、黙々として行くのみぞ〉高浜虚子

話は飛んで、師走はクリスマスを控え、赤やピンクのシクラメンやポインセチアなどに室内は彩られても、外の自然は花の乏しい季節でもある。

そんな中で最近、気持ちがいくようになったのが庭や公園の花壇やプランターのパンジー(三色スミレなど)である。昔からのありふれた花で、特に関心はなかったが、公園の一角にある花壇の花を世話している地域環境NPOのボランティア活動に加わったのがきっかけで好きになった。小さいながらも意外に丈夫なのが分かった。やや寂しい冬の庭が赤や黄色、紫などの花でカラフルに蘇るのだ。

「春の唄」の歌詞(作詞・喜志邦三)「ラララ赤い花束 車に積んで/春が来た来た 丘から町へ/すみれ買いましょ あの花売りの——」からは、もともとパンジーは3月ごろから咲き始める春の花であったのが分かる。それが雪をかぶっても、霜柱が立っても平気で冬を越して健気(けなげ)に花を咲かせ続ける。いつの間にか秋に植えて、冬の庭や花壇を色づかせるようになり、色彩の乏しいこの季節を華やかに彩り励まし楽しませてくれるようになった。今や12月の花と言ってもいいくらいである。