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芸術と家庭・・・絵画編(4)

岸田泰雅

「家族の絶対性」を伝える

「飴屋」を描いた米国人画家

飴屋
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江戸末期の面影を残す明治初期の日本の風物を描いた米国人画家がいる。彼の名は、ロバート・フレデリック・ブルーム(1857—1903)

ここに掲げた「飴屋(あめや)」(1893年制作、メトロポリタン美術館蔵)の細密な描写とカラフルな色彩を見て、思わず息を呑む人は少なくないはずである。これが、およそ130年ばかり前の過ぎ去った日本の風景であり、これを鑑賞する人は、おそらく日本人としての遺伝子が騒ぐであろう。

飴屋の主人が葦の茎の先に、溶かした飴をつけてぷうっと膨らませている。よく見ると、それを若い女性が5人、興味深く見つめているが、そのうちの4人までが子供を背負っている。右側の子供を背負った2人の女性に挟まる格好で、すでに買った飴を手にして飴屋を離れようとするもう一人の少女が描かれていることも見逃してはならない。左端には人力車と編み笠を被った車夫が描かれており、さらに、画面の奥には、店が並んでいて、肉屋であることを示す「牛肉」「豚肉」などの文字がはっきりと描かれている。

ロバート・ブルームが日本の風物に魅せられ、画筆の対象として多く庶民の暮らしに関心を注いだことは明らかだが、現代の日本人も、このような絵に心惹かれるのは、やはりその時代の庶民が味わっている平和の風情を感じるからであろう。現在よりもずっと貧しかった時代ではあったが、それでも、人々はそれなりの満足を見出して生きていたにちがいない。そこには、当時の人々の平和な思いと生活があったと想像できるのである。「飴屋」のような光景は、おそらく多くの日本人にとって、温かい懐かしさがこみ上げてくるものであろう。

ロバート・ブルームの生涯

ロバート・ブルームは米国オハイオ州生まれのドイツ系アメリカ人画家である。なぜ、彼は日本に関心を持つようになったのか。それは、1876年に開催されたフィラデルフィア万国博覧会で、彼が見た日本の展示に強く惹かれるものがあったからである。

彼はシンシナティ美術学校、ペンシルバニア美術学校などで学んだ後、さらに独学で画技を深め、1880年にヨーロッパに渡った。イタリアのヴェニスや、スペインのトレド、マドリッド、さらにはオランダなど、欧州各国を旅して、美術の修行に励みつつ、多くの優れた作品を欧州で制作した。

そして、ついに、1890年、33歳の時、念願の日本の地を踏んで、日本での3年間、数々の作品を描き上げた。その作品のどれもこれもが素晴らしいものであり、往年の日本の姿が写真のように描き出され、日本人が見ると、どの作品からも古き良き時代の懐かしさがこみ上げ、「これが日本であったか」と嘆息の声を上げるものばかりである。

ここに紹介した「飴屋」をはじめ、ゴム風船売りを描いた「露店」、溢れんばかりの菊の花を並べた「花売り」、桜の花をいっぱい手にした女性を描いた「桜」、魅力的な娘を描いた「日本の娘」など、日本マニアのロバートはかけがえのない傑作を残してくれたのである。それらはほとんど米国の各美術館で展示されており、日本では普段見ることはできないが、明治期の日本が世界に注目されていく時代の動向をロバートの美術作品によって確認することができる。

「飴屋」に見る日本の家族

「飴屋」には、赤ん坊を背負った着物姿の若い女性が4組も登場している。彼女たちの真剣な表情、おんぶされた赤ん坊の健康な生命力の漲(みなぎ)り、画面の一番手前の女性が着けた着物のあでやかな色彩、このような画面から訴えかけてくるのは、母子の密着度の強さである。現在のベビーカーで動き回る母子像とは明らかに違うが、その分、おんぶされた赤ん坊たちが母親の愛情をしっかりと確信している様子が伝わってくるから不思議である。

すっと背筋を伸ばし、飴を膨らませている飴屋の主人の左隣にいる女性は、飴屋が座っている道具箱に一緒に腰を下ろしているのか、あるいは若い女の子が母親代わりに赤ん坊を背負っているのか判然としないが、もし、飴屋とその妻子であるならば、家族総出で路傍での飴売りに精を出していることになる。いずれにせよ、「飴屋」が語り掛けてくる時代的な光景は、変わらない家族の絆、「家族の絶対性」を、現代の我々に伝えていることになるだろう。

それにしても、赤ん坊をおんぶした女性が路上に4組も立ち尽くす光景は、現在では見られないが、当時としてはそんなに珍しくなかったのかもしれない。家族という絆は永遠の普遍的真理である。「飴屋」に漂う平和の風情は、家族がもたらす平和、家族の愛が作り出す平和そのものかもしれない。