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芸術と家庭・・・絵画編(5)

岸田泰雅

「何でもない日常」の家族

日曜の午後の家族の寛ぎ

日曜の午後
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カール・トムセン(1847〜1912)という人物がいる。彼はデンマークの画家である。彼の作品に「日曜の午後」(1888年作)というのがあり、日曜の午後の家族の寛ぎを見事に描き表している。

前後にゆったりと揺れるロッキングチェアに腰を下ろし、読み疲れたのか、新聞を膝の上に置いて、目を閉じているように見えるのがこの家の父親、カーテンの開け具合を調整して光の差し込む量の加減を行っているのが母親であろう。テーブルに肘をついて座っている若い男女の二人が息子夫婦と見られるが、或いは息子と娘ということであるかもしれない。全体的に淡いライトブルーの色彩が部屋を包み込み、外の光を窓から取り入れて、ほんのりと明るい部屋の感じを描いた作品である。よく見ると、床に方形の白い部分がはっきりと描かれており、母親が窓際に立って日の光を取り入れた結果の状態が描き出されていて、その白い影を父親が踏んでいる。いかにも日曜の午後といった感じが伝わってくる作品に出来上がっている。

トムセンの描いた女性たちの姿は、非常に優雅で美しく描かれており、純白のロングドレスを着た女性が多い。「日曜の午後」に描かれた若い女性もそのような女性の一人である。同じ、デンマーク生まれの童話作家アンデルセンの童話は「人魚姫」のように美しい女性が登場するシナリオが多く、女性に対する深い愛情と神秘の思いを作品に表している。小国ながらも、19世紀のデンマークは当時において比較的に豊かな国を作り上げていたと言ってよく、その経済的な余裕が女性たちの優美さに表れていると言えるのであろうか。

北欧の柔らかい日差しに似た画風

カール・トムセンは、コペンハーゲンに生まれ、父親のルートヴィッヒは議会の審議官を務める人物であり、兄のヴィルヘルムは評判の高い言語学者であった。「日曜の午後」にも見られるような知的雰囲気を持った家柄であったと思われる。

幼いころから、トムセンは絵を描くことに興味を持ったが、父母は彼に哲学を学ぶように勧めた。ちょうど、キェルケゴールが一世を風靡するデンマークの実存哲学者として欧州に名を馳せていた時代ということもあって、哲学を学ぶように勧めたのかもしれない。

1866年、学校を卒業して、それから、本格的に絵の勉強を始め、王立デンマーク美術アカデミーに学び、1871年にそこを卒業した。仕上げとして、1870年代の終わり頃、30歳を超えた辺りまでイタリアで修行を積んでいる。

19世紀は、フランスを中心として様々な画壇の影響が欧州全体に広がっていたが、トムセンはパリ発のいかなる流派にも属せず、独りみずからの画風を守った。それは歴史主義というべきもので、歴史の中の作品にインスピレーションを得て、創作をするという流儀である。そのような目で「日曜の午後」を見ると、確かに、時間の流れがゆったりとして、古典主義的な静謐(せいひつ)が作品を支配している。それは、北欧、コペンハーゲンの柔らかい日差しにも似た安らぎと日常に繋がる静けさであり、パリという都会が発する瀟洒(しょうしゃ)とは関係のない作品世界である。

家庭ほど安らぐ場所はない

カール・トムセンの「日曜の午後」を何度も見ていると、「家庭ほど安らぐ場所はない」という説明の要らない当たり前と言えば当たり前の思いに駆られてくる。父母がいて、息子夫婦(或いは息子と娘)がいるというただそれだけの家族の光景が、「生の安らぎ」、「不安を掻き立てることのない日常」という世界を語りかけてくるのである。新聞を読み疲れて眠り入ってしまったらしい父親は、目を覚ました後、家族に一言二言、何か話しかけるのだろうか。窓際に立ってカーテンの具合を加減する母親は、何でも気づいたことをさっと行動に移す、気配りのある性格なのだろうか。テーブルの若い二人は何か話しているようにも見えるが、それはおそらく重要なことでも何でもないだろう。どれだけ、トムセンの一幅の画を解説しようと努めても、事件もなければドラマもない画に対して説明は不可能である。

しかし、何でもない日常を失ったとき、人は「何でもない日常」の有難さに気づき、「何でもない日常」の中に平和と呼ぶべきものが有ることに気づく。そして、「何でもない日常」は家族という絆によって織り上げられていて、とてもしっかりと織り込まれた縦糸と横糸の強力な結合こそが「家族」であることに気づくのである。人類は、戦争と家庭崩壊によって平和を失ってきたが、反対に、戦争を無くし、家庭崩壊をなくせば、21世紀の平和もはっきりと見えてくる。「日曜の午後」は戦争も家庭崩壊も感じられない作品である。