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福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から (2)

社会福祉士 清水道徳

天職としての介護

私は特別養護老人ホームに、生活相談員として勤務している。

先日、全国紙の一面に、介護職員の不足によって、行政による介護施設の整備が当初の予定通りに進んでいないといった記事が出ていた。現在の日本は未曾有のスピードで高齢化が進展しており、4人に1人以上が高齢者という超高齢社会を迎えている。こうした要介護高齢者を社会としてどのように支援していくか、喫緊の課題である。

私の勤務先でも介護職員不足は深刻で、やむを得ず入居者の受け入れ制限をしているのが現状である。社会が必要としている仕事のはずなのに、職員が辞めてしまう現状は、何とも忍びない。

さて、先日、内部研修があり、「介護の目的とは?」をテーマに一時間ほどの話をする準備のため、介護保険法第1条を調べてみた。そこに、介護の目的とは、「自立(自律)支援を通した高齢者の尊厳の保持」とあった。

しかし、介護の現場で働く職員には常にそのことを意識する余裕はない。毎日時間に追われるように、食事・入浴・排泄(俗称、三大介助)に当たっている。

この3大介助は、要介護高齢者にとって安心で安全な生活を送るには欠かすことのできないことである。しかし、他人の手を借りて最低限の生活を成したとして、果たしてそれだけで、その人にとっての喜びや幸福にまでつながるものだろうか。

ある入居者の希望で、回転寿司を食べに外出する機会があった。その方は施設内ではいつも食事量の少ない方だが、この時は寿司を7皿も食べ、満足げに帰ってこられた。施設内では見せたことのない笑顔を見ることができ、同行した職員も満足げな表情をしていた。

このようなことはよくある話だが、あらためて気づかされたことがある。とかく私たち専門職は、要介護者にとって「何が必要か」といった視点からの支援をしているように感ずる。しかし、より大切なことは、「何を欲しているのか」といった、ご本人の想いに沿った支援ではないだろうか。つまり、「ニード(need)」ではなく、「ウォント(want))」に応える支援が本来は必要なのだと考える。

介護職にとって、利用者様の喜ぶ姿に接することが何よりの喜びであり、ひいては仕事のやりがいに繋がるのではないだろうか。「利用者本位」という言葉が頻繁に語られるが、どこか形骸化したものとなっているように感じる。本当の意味でお一人おひとりの想いに沿った支援を心がけていきたいと思うものである。

私の介護観形成において多大な影響を与えてくれた師の言葉に、「医療は人の体を扱うが、介護は人の心を扱う」というものがある。心を扱う介護・福祉観の本質は本当に奥が深い。介護の目的である、利用者様の尊厳とは、何人も侵すことができない天が人間に与えて下さった個性そのものとも言える。そうであれば、介護の目的は、天の願いそのものであると理解できるのである。私は、このような理解のもと、これからも介護・福祉職としての歩みを続けたい。