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芸術と家庭・・・絵画編(7)

岸田泰雅

徹底的に「家族」をモチーフにしたカール・ラーション

「日本は芸術家として私の故郷である」

スウェーデンの一画家が述べた言葉に、「日本は芸術家として私の故郷である」というのがある。このように語った画家とは、カール・ラーション(1853〜1919)である。

彼は、1853年、スウェーデンのストックホルムに生まれた。彼の絵画の特徴は、家族を題材として多くの作品を残したということである。いわば、「家族の画家」とも言い得るラーションの画才は、家族への限りない愛情によって特徴づけられていると言ってよい。水彩画と油彩画の両方にわたって、家族の日常風景を描き続けたラーションは、幼少の頃から画の才能を示し、学校から彼は多くの作品を表彰されている。

18歳のころから雑誌や書籍に挿絵を描いて生計を立てていたが、25歳の時にパリに渡り、制作に励む中、水彩画に自然の光を再現するという外光主義の新画風を開いた。このような彼の水彩画は、次第に大きな評価を得ていくようになる。

パリで、彼は日本の美術に触れ、当時、パリを席巻していたジャポニスムの虜になる。このパリ時代の日本美術への愛好が、彼をして「日本は芸術家として私の故郷である」と言わしめた理由である。

さらに、ラーションの言葉を引用してみよう。「アーティストとしての私の母国は日本だ。現在の地球上で真にアーティストと呼べるのは日本人だけだ」と、ここまで日本賛美をしてくれるのは嬉しいとしても、大袈裟な感じを否めない。しかし、ラーションにしてみれば、それほど、日本絵画の美に魅せられたということであろう。

家族をこよなく愛し家族を題材に

ラーションは、彼自身の家族を題材とする絵をたくさん描いたが、その家族はスウェーデンの女流画家カーリン・ベーリェーと1883年に結婚して作り上げた家族である。一言で言えば、子宝に恵まれた幸せな家族ということになるが、長男ウルフ、次男ポントス、三男エスビョルン、長女スザンヌ、次女リスべス、三女ブリッタ、四女ケルスティの7人を、妻のカーリンは生んでくれたので、まさしく家族万歳といったところか。

ザリガニ釣りシーズン開幕
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この愛する我が家の日常風景をラーションは描いたのである。その中に、「ザリガニ釣りシーズン開幕」というのがあり、キャンバスには彼の子供たちが溢れている。画面下にテーブルが置かれ、そのテーブルの中央に捕ったザリガニが山と積まれている。これから、捕ったザリガニを家族全員で美味しくいただこうという時間が始まりそうである。

北欧では、ザリガニを捕ってもよいシーズンというものがあるのかという思いにとらわれつつ、スウェーデンではザリガニは非常に人々に愛されている食材なのでもあるのだろうという想像が走るが、それもそのはず、スウェーデンでは、「ザリガニ・パーティー(クレイフィッシュ・パーティー)」というものを人々は行うのである。

そのことを知って、「ザリガニ釣りシーズン開幕」の絵画を観ると、ラーション家の家族が大はしゃぎ、大騒ぎをしながら、ザリガニを釣り上げ、これから、腹いっぱい家族でザリガニを食べるのだという興奮が伝わってくる。

子供たちも二手に分かれ、釣り上げる子供たち、食事の準備に取り掛かっている子供たち、実に、楽しい雰囲気を生き生きと描き出しているラーションの家族愛に溢れた筆致である。

家族の平和こそが世界平和の原点

カール・ラーションという画家の存在は、徹底的に「家族」をモチーフにしたという精神において、偉大な存在感を示しており、注目に値する。彼の作品をよく見れば、西洋の油彩画とは趣を異にし、日本人の芸術センスに近いものがある。

たとえば、浮世絵が日常のさまざまな生活や風景を描いたように、ラーションは、家族の生活というこれ以上ない日常を精力的に描き続けたのである。特別な出来事や行事を高尚に描くといった「記念感覚」あるいは「非日常感覚」の晴れ着姿、いわば、貴族絵画ではなく、「日常」という普段着を愛した精神こそが、ラーションの庶民絵画であり、その最たるものが家族絵画、すなわち、「家族を描く」ということに他ならなかった。だからこそ、ラーションの絵は見ていて楽しく、愉快で、面白いのである。

結局、ラーションは家族の何を愛したのか。家族が作り上げる平和の香りをこよなく愛したのである。よいことも悪いこともすべて一緒に共有しなければならない家族は、だからこそ家族なのである。秘密にすることも隠すこともない家族は最高の共同体である。家族の中に実現される平和がまさに本当の平和であり、家族の平和の総和が人類の平和という結論である。ラーションが愛した家族の平和は世界平和への原点であることを心に留めたい。