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日本人のこころ〈21〉

ジャーナリスト 高嶋 久

香川——『空海の風景』司馬遼太郎

真言密教を確立

戦後復興期から高度経済成長期に移った1960年代に、『竜馬がゆく』『燃えよ剣』などの歴史小説を発表し、吉川英治に代わって国民作家と呼ばれるようになったのが司馬遼太郎です。大阪外国語学校蒙古語学科を卒業し、戦車隊で終戦を迎え、大阪の在日朝鮮人経営の新世界新聞社に入社した司馬は、京都で宗教記事を書くようになります。同社が2年後に倒産したため産経新聞に移り、京都の宗教者や京大学派の学者たちと交流を深めながら、執筆活動をするようになりました。

空海は平安時代初期に讃岐(香川県)の郡司・佐伯氏の家に生まれ、平城京に上って、母方の叔父阿刀大足(あとのおおたり)から論語、孝経、史伝、文章などを学び、18歳で京の大学寮に入り、官僚になるため儒学を学びます。ところが、大学の勉学に飽き足らず、19歳頃から近畿や四国の山林で修行します。主に求めたのは雑密(ぞうみつ)という、中国から入って来ていた密教の断片です。ある僧から「虚空蔵求聞持法」という記憶法を習い、土佐の室戸岬の御厨人窟(みくろど)で修行をしているとき、口に明星が飛び込んでくる体験をして悟りを得、以後、空海と名乗るようになります。

当時、最先端の仏教だった密教を本格的に学ぶため、空海は遣唐使船に乗って唐に渡り、長安でインド僧から仏教の勉強に必須のサンスクリット語を学び、青龍寺で密教の第七祖・恵果(えか)に師事し、灌頂(かんじょう)を受けます。言葉では説明しきれない密教は師から弟子へと直接伝えられる教えです。

2年後、密教の教典や法具などを持ち帰り、真言密教を確立した空海は、やがて嵯峨天皇に認められ、宮中で天皇の健康や国家護持を祈る密教の修法を行うようになり、修禅の道場として高野山を下賜され伽藍を建立し、京の東寺を修行の道場とします。この間、讃岐の満濃池を修築するなど公共事業にも手を広げました。

60歳で入定(死去)してから弘法大師の大師号が天皇から贈られ、いわゆる大師信仰が生まれます。空海が修行したとされる八十八カ寺のある四国では霊場巡りが始まり、親しみを込めて「お大師さん」と呼ばれるようになります。

神道、修験道、仏教を総合

司馬は空海を書いた動機を「あとがき」で次のように書いています。

「私が密教というものの断片を見た最初は、十三詣りのときである。私は嬰児のときに虚弱だったので、身内の誰かが大和の大峰山に願をかけてしまい、十三になったらお礼詣りにゆかせる、と約束してしまった」

そして中学1年の夏休みに、叔父につれられ吉野の奥の大峰山頂に登り、大峰山を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)が好きになります。

「私は、正密という体系的密教を伝えた空海よりも、むしろその先駆的存在である役ノ行者のような雑密の徒のほうに関心をつよくもったのは、そこに海の風のふしぎさを感ずるからにちがいなかった」

戦後、仕事で京都の寺回りをするようになった司馬は、親鸞に引かれながらも、真言僧と親しくなります。

「そのころ、以下は矛盾したことだが、日本の思想史上、密教的なものをもっともきらい、純粋に非密教的な場をつくりあげた親鸞の平明さのほうがもっと好きになっていた。…しかし、このことも矛盾しているようだが、現実に接触した僧たちとしては真言宗の僧のにおいのほうがどの宗派の僧よりも、人間として変に切実に感じられるように思えて、その人達ともっとも親しくなった」

役行者は修験道の開祖とされる飛鳥時代の呪術者で、大和国葛城の賀茂氏の出身とされています。17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学び、その後、葛城山で山岳修行を行い、熊野や大峰の山々で修行を重ね、吉野の金峯山(きんぷせん)で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築きました。唐で密教を修めた空海は、日本古来の神道に修験道、そして渡来の仏教を総合し、真言密教を体系化します。

密教とはその字のとおり秘密の教えで、顕教に対する言葉として空海が使いました。空海は、顕教とは衆生を教化するために釈迦が説き顕した教えであり、それに対して密教は、真理の本体である大日如来が説いた教えで、その奥深さから文字では表せない秘密の教えと説明しています。

歴史的には、インドで釈迦が仏教を説いたのが紀元前5世紀頃で、この初期仏教はスリランカを経て南アジアから東南アジアに広まり、今では上座部仏教と呼ばれています。それに対して紀元前後に現れたのが大乗仏教で、密教はその最後の5世紀頃に、インド古来のヒンズー教などを吸収して成立します。

それが中国に伝わったのですが、一時栄えたものの、皇帝に迫害されて衰退し、密教として体系化したのは空海が初めてです。密教はチベットにも伝わりますが、ヒンズー教の性的指向の影響が強く、日本の密教とはやや異なっています。

『空海の風景』は歴史小説的に空海の足跡をたどりながら、仏教史を分かりやすく解説しており、インドと中国、日本の仏教を概論的に学ぶにも適しています。