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新米ママのありのまま(4)

フリーライター 岸元実春

便利で楽なものにこそ弊害がある! 育児の主体は親ではなく「子供」

北風が肌身に染みる季節。背を丸めて歯を食いしばりながら下を見て歩く大人がいる一方、子供は同じく下を見ながらも、落ち葉をカサカサと鳴らしながら笑顔で小さな一歩を踏み出します。子供と大人とでは見えている景色が違う、小さな手を引きながら歩いていると実感させられます。

それは景色以外にも言えることです。育児に便利な道具がたくさん販売されていますが、親にとっては便利でも、子供からすれば親の手抜きに見えることも。例えば、レトルトの離乳食。娘のご飯は家で食べる分は手作りを主流にしていたのですが、まだ離乳食の時は外出先でよく使用していました。ところが、1歳を超えて自分で食べ始めるようになると、レトルトのご飯を嫌うようになって、食べてくれなくなりました。親にとっては便利なアイテムですが、子供からすれば味気のない「気の抜けた」ご飯を食べさせられているわけです。外出先にわざわざ作ったご飯を持っていかなくてもいいかという親の勝手な都合を見透かされたような気がして、反省させられました。

食だけでなく、常に持ち歩く「スマホ」も要注意です。最近は「スマホ育児」をする親が増えていますが、同じスマホといえども、大人が使うのと子供が使うのとでは意味が異なります。大人は便利な道具としてスマホを使います。例えば、家事などをして子供に構えない時、動画を見せたり、ゲームをさせたりすれば集中してくれるので、ついスマホを与えてしまいます。子供は一見楽しんでいるように見えますが、スマホを使用することで脳が悪影響を受けることが分かってきました。スマホを使っていると、創造性や感情をコントロールする前頭前野が働かなくなり、長時間使用すると言語知能の発達に影響が出たり、コミュニケーション能力が低下したりする恐れがあります。スマホだけでなく、ゲームやテレビも同様です。

人工的なものに触れさせるよりも、自然なものに触れさせることが子供の成長にとって良いと聞いたことがあります。また、おもちゃも、プラスチックより木製の積み木などで遊ばせると良いようです。幼児期から習い事をやるのもいいですが、砂場遊びをしたり、裸足で地面を駆け回ったり、木、花、虫など自然に触れたりして遊べるのは、子供の時だけ。私も幼少期は伸び伸びと育ったので、娘も大らかに伸びやかに育ってもらいたいです。

育児の主体は親ではなく子供であるべきなのに、世の中には親が楽になるための道具が溢れています。本当に子供のためになるものかどうか考え、便利で楽な道具に惑わされないようにしたいものです。