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日本人のこころ〈22〉

ジャーナリスト 高嶋 久

静岡・大阪——ヤマトタケル 古代最大の英雄

女装しクマソ征伐

各国の建国神話には英雄が登場します。日本古代史の最大の英雄がヤマトタケル(日本武尊)です。手塚治虫の漫画『火の鳥 ヤマト編』にはヤマトタケルがモデルのキャラクターが登場し、哲学者の梅原猛さんはスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の脚本を書いています。

ヤマトタケルは第12代景行天皇の第二皇子で第14代仲哀天皇の父。父に疎まれながらも九州、東北に遠征して支配地を拡大しますが、最後には非業の死を遂げる悲劇の英雄です。死に臨んで詠んだ「やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる やまとし麗し」(大和は良い国だ 幾重にも重なる垣根のような山々 山に隠れる大和は懐かしく、美しい)は望郷の歌として涙を誘います。

ヤマトタケルには兄にオオウス(大碓)がいて、弟のオウス(後のヤマトタケル)と双子だったともいわれます。オオウスは父が好意を寄せる女性を横取りしたために、父子関係が微妙になっていました。父がオウスに「兄さんに食卓に就くよう伝えてくれ」と頼むと、オウスは言うことを聞かない兄の手足を引き千切ってしまいました。これを知った景行天皇はオウスが恐ろしくなり、兵隊もほとんど付けずに九州征伐に向かわせます。

勝ち目がないと悩んだオウスが、伊勢神宮にいる叔母のヤマトヒメ(倭姫)に相談すると、彼女はオウスに女性の衣装を渡しました。英雄には彼を助ける女性がいるものです。

九州に渡ったオウスは、そこを支配しているクマソタケルの宴会に美少女に変装して忍び込み、酔って油断したクマソタケル兄弟を征伐します。このとき、クマソタケルに「ヤマトタケル」と名乗るよう勧められ、名前を変えます。大和の強い男という意味です。

東国征伐

九州を制圧したヤマトタケルが大和に帰ると、景行天皇に休む暇もなく東国征伐を命じられます。ヤマトタケルは「父は私を殺したいのか…」と悩み、また伊勢神社のヤマトヒメに相談に行きます。そこでもらったのがクサナギの剣と火打ち石です。

まず、尾張を平定したヤマトタケルはミヤズヒメを妻に迎えます。敵の娘を妻に迎えることが支配の成立を意味していました。

次に、ヤマトタケルが相模国に着くと、相模の国造(くにのみやつこ)が「この野の中に大沼があり、乱暴な神が住んでいます」と言うので、ヤマトタケルがその神を見ようと野に入ると、国造は野原に火をつけました。ヤマトタケルはクサナギの剣で草を刈り、火打石で火をつけ、迎え火で火を退かせました。ヤマトタケルは燃え盛る野から脱出し、国造を切り殺しました。それからその土地を「焼津」と言います。

相模の走水から房総半島へ渡ろうとしたヤマトタケルは、浦賀水道で嵐に遭遇します。そこで后きさきのオトタチバナヒメ(弟橘比売)が海に身を投げて海の神を鎮めたので、無事に渡ることができました。

房総から関東に出て蝦夷(えみし)と戦い、平定したヤマトタケルは、足柄峠に着き、乾した飯を食べていると、坂の神が白い鹿に化けてやってきました。ヤマトタケルが食いかけのニラの端切れを投げつけると、目に当たって鹿に化けた神は死んでしまいます。ヤマトタケルはその坂に登り、3度ため息をついて「あぁ、妻よ」と言ったので、この辺りを「阿豆麻(あづま)」と呼ぶようになりました。

甲斐の国の酒折宮(さかおりみや)に着いたヤマトタケルは、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と歌を歌いました。すると、火の番をしていた老人が、「日々かが並なべて 夜には九夜 日には十日」(指折り数えると9泊10日になります)と返歌をします。ヤマトタケルはその老人を誉め、東の国造に任命しました。これがわが国における連歌の始まりとされます。酒折宮は甲府市の山梨学院大学の近くにある小さな神社です。

白鳥になって大和へ

ヤマトタケルの銅像
大阪府堺市の大鳥大社にある
ヤマトタケルの銅像

信濃の神を平定し、結婚の約束をしていた尾張のミヤズヒメの元へ戻り、結ばれたヤマトタケルは、草薙の剣を置いて伊吹山の神を征伐に行きます。ふもとで牛のように大きな白い猪に出会ったヤマトタケルは「この白い猪は山の神の使いだろう。今は殺さず、帰りに殺そう」と言い、山に登りました。すると山の神が、激しいヒョウを降らせ、ヤマトタケルを幻惑したのです。白い猪は神の使いではなく、山の神そのものだったのですが、ヤマトタケルが「神の使い」と見当違いしたために、怒ったのです。

ヤマトタケルは山を下りる途中、玉倉部(たまくらべ)の清水にたどり着き、休息すると、落ち着いてきました。三重村に到着したヤマトタケルは「わたしの足は三重に曲がった餅のようで、とても疲れた」と言ったので、その土地を「三重」と呼ぶようになります。

弱った体で大和に帰ろうと、能煩野(のぼの)(三重県亀山市)に到着したヤマトタケルが故郷を想い歌ったのが冒頭の歌で、ヤマトタケルは当地で亡くなります。

知らせを聞き、大和からやって来た后や御子たちが陵墓を築きます。すると、ヤマトタケルは白鳥になり、大和に向け飛んで行きました。これが白鳥伝説で、その白鳥が飛来したという伝説が、堺市の大鳥神社はじめ各地にあります。

ヤマトタケルは、大和朝廷が各地を平定しながら成立する過程で活躍した、何人かの英雄を統合させた架空の人物なのでしょう。古事記と日本書紀で記述が異なったり、類似の話がほかにもあるのはそのためです。