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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

観梅を楽しみ、静かな心で遠くない春を待ちたい

〈春は名のみの風の寒さや〉地球温暖化がいわれ暖冬ともいわれる今年だが、それでも冬は冬。老身には寒さが堪えないわけはなく、冬がまだしぶとく居すわる中で、頬をたたく風の冷たさにブルッと震えると唱歌「早春賦」(作詞・吉丸一昌、作曲・中田章)の一節を口ずさんだりする。少しばかりの暖かさの中では〈うれしさは春のひかりを手に掬(すく)ひ〉(野見山朱鳥(あすか))や〈たしかなる春の鼓動を水音に〉(吉富萩女)の句を思い浮かべたりする。

暦の上では春が立つ2月だが、まだ寒さが居残る季節。そこにある寒さの中に春を感じる、春の足音を聞く、春の光を見るのである。

立春は節分の翌日である。節分は何を分ける日かというと、四季を分ける日のことで、かつては翌日も立春、立夏、立秋、立冬と4回あった。それがいつの間にか節分が春の節分のことになっていった。年が始まるのは立春からという考え方からそうなり、すると節分が1年最後の大晦日(おおみそか)ということになる。

節分の行事である豆まきは、平安時代の陰陽道(おんみょうどう)の行事が簡略化されたもので、霊力がこもる豆(魔滅=魔の目が滅する)を撒いて邪気を祓(はら)うとしたことに由来する。「福は内! 鬼は外!」の大音声(だいおんじょう)が冬ごもりの閉塞感を打ち破って、大地の春を呼び寄せるのである。

「氷がとけたら何になるのか?」。テスト問題に「水になる」と答えないで、「春になる」と答えた生徒がいたという。それで理科の点数はとれなかっただろうが、答えの先にある季節の移ろいや自然の変化までをとらえ楽しむ豊かな感性が天晴れだ。つい拍手したくなってしまう。

梅の写真

この時季に、厳しい寒さを突き破り万花に先駆けて凛と花を咲かせ、馥郁(ふくいく)とした香気を放つ梅に、生きる力を得る人も少なくなかろう。禅宗では梅を人生の山や谷を乗り越え悟りに至る人に重ねてきたという。

〈むめ一輪一りんほどのあたゝかさ〉服部嵐雪。〈大仏の境内梅に遠会釈〉高浜虚子。 〈紅梅の紅の通へる幹ならん〉高浜虚子。〈冬の梅あたり払いて咲きにけり〉小林一茶。観梅を楽しみ、静かな心で遠くない春を待ちたい。