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日本人のこころ〈23〉

ジャーナリスト 高嶋 久

福岡・茨城——『青春の門』『親鸞』五木寛之

38度線を突破し引き揚げ

司馬遼太郎の後、国民的人気の小説家と言えるのが五木寛之です。1932年に福岡県で生まれた五木は、生後まもなく朝鮮半島に渡り、第二次世界大戦終戦時は平壌にいて、ソ連軍進駐の混乱の中で母を亡くします。父とともに幼い弟、妹を連れて38度線を越え、47年に福岡県に引き揚げました。この時の苦しい体験が作家生活の基層にあります。

早稲田大学を中退し、ラジオのニュース作家や交通業界紙の編集長、CMソングの作詞家、テレビの放送台本作家などを経て、66年に『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞を、67年に『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞し、『週刊読売』の連載エッセイ『風に吹かれて』が評判になります。メディア時代を象徴する時代の寵児でした。

代表作となった大河小説『青春の門』は69年に『週刊現代』で掲載が始まります。主人公は、太平洋戦争のさなか、九州・筑豊に生まれた伊吹信介。父親はかつて「昇り竜」と称された炭鉱夫ですが、炭鉱事故で早逝し、義母に育てられます。戦後、上京した信介は、大学で学びながらボクサーになったり、波瀾万丈の体験をしながら成長していきます。

70年に吉川英治文学賞を受賞した第1部「筑豊篇」から、93年の第7部「挑戦篇」が出版され、23年の断絶を経て2016年に、ユーラシア大陸横断の大望を抱く信介の旅を描く第8部「風雲篇」が出ています。累計2200万部に迫る大ベストセラーとなったほか、繰り返し映画化・ドラマ化されました。

福岡県中間市に、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つ、八幡製鐵所「遠賀川水源地ポンプ室」があります。日本は幕末から明治にかけて、西洋以外の地域で初めて、かつ短期間のうちに近代工業化を果たし、飛躍的な発展を成し遂げました。その重要な要素が、燃料の石炭とそれをもとに発展した製鉄、造船です。

浄土真宗に傾倒

1981年から休筆した五木は、龍谷大学の聴講生になり仏教史を学びます。その後の作品は次第に宗教色を帯びるようになり、とりわけ親鸞や蓮如など浄土真宗に傾倒していきます。その集大成とも言えるのが2010年から刊行された『親鸞』で、14年に完結篇が出ました。

比叡山での学びから法然の弟子になる青年期の第1部、法難を受けて越後に流され、許されて関東で布教する第2部に続いて、第3部の「完結篇」は、親鸞が61歳で京に戻り、90歳で没するまでを描きます。

親鸞が関東から帰京したのは主著『教行信証』を完成させるため。しかし、比叡山で親鸞と共に学びながら、後に敵対するようになった怪僧・覚連坊は、天台座主・慈円の意向を受け、専修念仏を潰そうと暗躍します。新旧宗教の争いは、貨幣経済が躍動し始めた鎌倉時代中期の京の勢力争いとなって展開していきます。

一方、親鸞は長男・善鸞との間に深刻な親子問題を抱えていました。「私」の思いを消していくのが念仏ですが、善鸞は唱導で新たな境地を開こうとしたのです。そして、親鸞が去った後、信仰に混乱が起き始めていた関東に招かれ、夫の成功を願う妻と祖父を尊敬する息子の如信も同行します。

親鸞の懸念は、善鸞が「父から伝授された秘密の教えがある」と言い始めたことで的中、ついに親鸞は善鸞を義絶します。如信は父を理解しつつ分かれ、祖父に従う道を歩み始めるのです。

京では、専修念仏を支持する商人らが嵯峨野に巨大寺院の建立を始め、それを阻止しようとする覚連坊の勢力と壮絶な争いが繰り広げられます。天台宗は総合的な仏教で、念仏もその一つです。念仏を唱えるだけで救われると「選択した」のが法然で、弟子の親鸞はさらに、妻帯してもそのままで救われると宣言します。

ところで、戦前の国家主義を宗教的に先導したのは、田中智学(ちがく)や北一輝、石原莞爾(かんじ)などの日蓮主義という印象が強いのですが、それより大きな影響力を発揮したのが親鸞主義です。

京大滝川事件や天皇機関説事件を起こし、河合栄次郎や津田左右吉らを大学から追放したのは歌人の三井甲之(こうし)や宗教学を学ぶ東大生の蓑田胸喜(むねき)です。彼らは日本の不滅を信じるのが一向専念の信仰で、親鸞は釈迦を超越しているとしました。

日本に親鸞ブームを起こしたのが1917年に出た倉田百三の『出家とその弟子』です。背景には、大正デモクラシーの解放感と若者の煩悶があります。その後、倉田はファシズムに傾倒していきます。天意に従って人民を統合し、民族の宗教的理想に到達させるのが大乗的日本主義だと考えたのです。

戦前の日本の共産主義の歴史は転向の歴史でした。獄中で、佐野学や鍋山貞親(さだちか)ら共産党幹部を転向させたのが浄土真宗の教誨師です。富裕な家に生まれた罪悪感からマルクス主義者になった亀井勝一郎も、親鸞を経由して日本主義者になります。

『歎異抄』を普及させたのは真宗大谷派の清沢満之(まんし)と暁烏敏(あけがらすはや)で、戦争が迫る時代、暁烏は日本精神はそのまま惟神(かんながら)の道であるとの確信に達し、弥陀の本願は天皇の大御心だとして国民教育にまい進します。そうした戦争協力の反動で戦後、浄土真宗は反政府的な思想傾向を強めました。親鸞の浄土真宗は日本人の心性に近い半面、そうした危険性もはらんでいるのです。