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春夏秋冬つれづれノート

ジャーナリスト 堀本和博

目の前のハードルをひとつずつ確実に超えていく、今はそういう〈分相応〉がいい

「お父さんがついていて、どうしてこうなるの?」

娘から怒られてしまった。そういう歳になったのだ、と自覚しなければならない。

ある日の夕方のことである。午後から家内の調子がよくなかった。パーキンソン病の家内の体の動きがままならなくなるのは、たいていは夜の間のことだ。トイレで起きると、杖代わりになって手を引いてエスコートする。

そのエスコートが昼間から必要なことが時々ある。〈今日は調子よくないなあ。きのう調子に乗って動きすぎたせいかなあ〉などと思っているときに、「あっ」と気がつく。昼食後のクスリを飲み忘れていたのだ。柱にかけてある、起床時、朝食後、昼食後、夕食後、寝る前─と5つに区分けされたビニール袋のクスリ入れを確かめると、残っている。

パーキンソン病は手が震えたり、体の動きが不自由になる病気で、そうなるのは脳からの指令を体の隅々に伝える役割をするドーパミンという物質が不足したり出なくなったりするから。難病とされるのは回復に有効な治療法がまだないからだ。

クスリはいまより症状が進行しないようにするためと、ドーパミンの働きを補う作用をするために服用し、それが常に一定の濃度で血液中にあることが必要なのである。

飲み忘れると悪い効果がてきめんに出る。最初の1、2回の失敗では「仕方ないね」と言っていた娘も、その後も続いたので呆れたのだろう。

家内は自分でクスリが飲めないわけではない。一人でいるときはよくセルフコントロールして飲んでいる。なのに、ふたりでいる時になぜ失敗するのか。このときもそうだったが、ふたりの昼食で話が弾んで盛り上がると、後回しにしたクスリを飲むことをつい忘れてしまうのである。

何の話をしていたのか後で覚えていないのだから、他愛ない話である。

ひとつのことを完了しないで、次のことを並行して進めると、前のことをすっかり忘れてしまう。電気釜ではなくガスコンロに圧力釜でご飯を炊いているときに、割り込んできた別の用事に意識をとられているうちに、ご飯が焦げてしまったことも1度や2度ではない。古希が過ぎるというのは、そういう歳になったということである。もう昔のように、いくつものことを同時に進めることは危険極まりないことになる。目の前のハードルをひとつずつ、確実に超えていく。いまはそういう〈分相応〉がいいのである。