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福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から (12)

看護補助 秋元勝司

患者さんの「親になる」の思いを心に

私は、都内の総合病院で、看護補助という仕事をしています。

看護補助業務とは、病院内で看護師の業務を補助する仕事ですが、どちらかというと、入院患者さんに、介護に近い内容のサービスを提供します。例えば、おむつ交換、陰部洗浄等の排泄の介助、入浴の介助、食事の配膳下膳、食事の介助、ナースコール対応等を主に行います。

例を挙げると、骨折をして入院し、暫くはベッド上での安静が必要な患者さんの、お食事の手伝いをしたり、身体を拭いてさしあげたりします。また、入院して間もない頃の、痛くて寝返りもままならない患者さんに、声を掛けたり、時には冗談を言ったりしながら、お世話します。患者さんの病気が治って、喜んで退院される時は、私も嬉しくなります。

ところで、日本全体が超高齢化の時代に直面している中、当院の入院患者さんにも高齢者が多くなっています。そのため、直接の病気だけでなく、認知症などの症状を伴う方も多くなり、これまでよりも、幅広い対応が求められるようになっています。

「お家に、帰りたい」、「トイレに、行きたい」。

治療の意味が理解出来ず、また、病院にいることや排泄をしたことを、僅かの間しか覚えていられない患者さんに対して、治療のためとはいえ、その方の望むままの事をしてさしあげられないことに、われながらとても、やり切れない思いをすることがよくあります。

また、声掛けするのですが、それがままならない時、思わず、声を荒げてしまうこともありました。そんな時は、「自分は一体、何をやっているんだろう」と、自己嫌悪に陥ることも多くありました。

最近、心に残った体験がありました。それは、いつも不安からケアを拒否するある認知症の患者さんへの対応の時のことでした。患者さんへの対応方法が万策尽きた時、言葉に頼らず、目を見てゆっくり、丁寧に対応した時、患者さんは受け入れてくださいました。その後、布団をかけた時に、その患者さんの「親」になったような、じんわりとした、何とも言えない優しいきもちになりました。

また、別の日、患者さんの入浴介助のときにもそのような体験がありました。かつて、自分の子供と一緒にお風呂に入ったり寝たりした時のような感覚にも似ていたように思います。

考えてみれば、小さな子供には言葉は頼りにならず、五感を使って感覚的に「会話」をしていた気がします。

いまだ決定的なケアの方法というものは分かっていませんが、もしかしたら、「親になる」ということがヒントになるのかもしれません。

「親になったような体験」は、いつもあるわけではありません。いつもは、時間に追われながら患者さんの間を右往左往していることの方が多い毎日です。しかし、たまにある、「親になる」ささやかな至福の時を楽しみに、今日も頑張っていきたいと思っています。