人生を豊かにする金言名句(18)local_offer金言名句
ジャーナリスト 岩田 均
掃除を続けた槃陀迦の悟り
義母の四十九日の法要が菩提寺(浄土真宗)であり、住職が「法話」をしました。印象に残ったのは、お釈迦様の弟子の一人「はんだか」の逸話でした。インターネットで調べてみると、周利槃特(しゅりはんどく)と出てきて、その説明文に「周利槃陀迦(はんだか)とも音写する」(日本大百科全書から)とありました。この人のことでした。
槃陀迦は何をしたのでしょうか。前出の法話を簡単にまとめると――。
槃陀迦は記憶力が弱く何カ月修行をしてもお経をちっとも覚えられません。そこで、お釈迦様は「掃除をしなさい」と言いつけました。毎日毎日、何年も続けました。秋になれば落ち葉が次々と降ってきますからキリがありません。あるいは、せっかくきれいにした後を子供らが走り回ればまた汚れます。誰しも「きれいにしたところで、また汚れる。掃除する意味はない」と思うものです。ところが、槃陀迦はその繰り返しの中で悟りを開くわけです。ゴミや落ち葉、汚れは、自分の心の塵や垢だと。心に次々と湧いてきて、きれいにしたと思ったら、また汚れる――。
言わんとすることはよく分かります。槃陀迦のことは、法話を聞いて初めて知りましたが、同じような経験はありますね。
昔の話で恐縮ですが、小6の時だったと思います。学校で大掃除をする日がありました。私はトイレの担当。なぜか無心になっていました。素手でぞうきんを持って、たくさんある便器の中に手を突っ込んで一つ一つ拭きあげている自分がいました。我に返って、”へー、きれいなもんだ。全然汚いと思わない。気持ちがいいな”と。槃陀迦の悟りにたとえれば(不遜かもしれませんが)、自分の心の塵が多少はなくなって爽快感を覚えたのでしょうか。
トイレは汚いものの代名詞。映画『どら平太』(原作・山本周五郎)の中では、主人公が「武士の家とは、厠(かわや)が一番きれいでなければ」と言う場面があります。不浄な場所だから清潔に保てというわけです。「トイレの神様」という歌が流行したこともありました。歌詞が良かったですね。学校で掃除をする意義はあると思います。