機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」新米ママのありのまま(12)

新米ママのありのまま(12)local_offer

フリーライター 岸元実春

母になった今思い返す、小学生の時の「特別なみそ汁」

太陽が1年で一番大活躍するこの季節。木陰に入ると、さーっと風が通り抜け、背中を伝う汗を拭ってくれる。わずかな時間でもふうと一息つくことができ、優しい風にお礼を言いたくなります。

暑い日には冷たい物が食べたくなりますが、あまり食べすぎるとお腹を冷やしてかえって体調不良に陥ることも。真夏の暑さには強くない方なので、暑いだけで動く気力も、食欲もなくしてしまいます。しかし、夏でもみそ汁を飲むとなんだか心が和みます。暑さでよく眠れなかった朝でも、夕方になっても気温が下がらず、むしむしする中疲れて帰宅しても、みそ汁を口に含むとほっとします。

普段、夕飯に残ったみそ汁を朝食に食べることが多いので、我が家では朝からみそ汁を作ることはほとんどありません。しかし先日ふと思い立ち、朝食にみそ汁を作ることにしました。朝のしんとした空気と、味噌と出汁の合わさった匂いに誘われ、懐かしい記憶が思い浮かび、小学生に戻ったような感覚に陥りました。

私がまだ小学生の頃、母は近所に住む親戚の高齢のおじいさんを介護していました。昼間はヘルパーさんが来てくれるのですが、夜間の介護も必要になるため、母が寝泊まりし、朝になったら家に戻って来るという生活を送っていました。子供ながらに献身的に介護をする母が立派に思え、誇らしいと感じていました。何か役に立てることはないか考えたところ、早朝自宅に戻っての朝食の準備が大変そうだったので、代わりに朝食を作ろうかと提案しました。実家での朝食は白米とみそ汁だったので、小学生でも任せてもらえることになりました。

それから母の代わりに私が朝のみそ汁を作ることになったのです。起床は毎朝6時。母のいるおじいさんの家に電話をかけるところから始まります。それを目覚まし代わりに母が起きて、家に帰って来る間にみそ汁を作るという日課をこなしていました。初めの内は出汁が上手くでなかったり、味噌が多すぎたり、少なかったりで味のバランスを取るのに苦労しました。何かと手厳しい父にダメ出しをされながらも継続していきました。しばらくしてようやく安定した味で作れるようになり、父からもおいしくなったと言われ、更においしいみそ汁を作ろうと様々な具に挑戦したりもしました。おじいさんが亡くなった後も、小学校を卒業して留学するまでの約3年間みそ汁作りを継続していきました。

当時は日課として、やるからには最後まで一日も欠かさず続けるという意志で行っていたと思います。継続してきたことが自信に繋がり、できないことも続けていればできるようになると信じてこれまでやってこられたと大人になった今、感じます。結婚して妻になり、母になってみて、初めての連続の育児や、夫との関係性の構築など、ひとりの時では知ることのできない大変さを経験しました。どれも継続していけば道筋が見えるもので、悩んだり、ぶつかったり、時には脇道にそれたりしながらも信じて進んでいけばいいのだと思えます。

母のようなお母さん、妻になるにはまだまだ道は遠く、母が背負ってきた苦労を考えると頭が上がりません。些細なことで壁にぶつかっている新米ママですが、母を目標に良妻賢母目指して子供や夫、両親を愛していける玄人ママになりたいものです。