機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」日本人のこころ〈35〉

日本人のこころ〈35〉local_offer

ジャーナリスト 高嶋 久

奈良県──岡潔・小林秀雄『人間の建設』

人間の基礎は情緒

1964年の東京オリンピックは、戦後日本の国土建設のメルクマールでした。私が高校2年の時です。その翌年、出版され話題になったのが岡潔と小林秀雄の対談集『人間の建設』(新潮社)でした。

当時、私は受験校と学部を決めなければならない時期で、将来の自分を考えていました。一応、工学部で建築家にでもなろうかと考えていたのですが、どうも気持ちがしっくりしません。そんな時に『人間の建設』を読み、数学者の岡潔が情緒の大切さを語っているのがとても印象的でした。今から考えると、自分の建設には基礎になる情緒をしっかりさせないといけなかったのです。

そのころ、『本居宣長』を書いていた小林秀雄は、宣長の言う「もののあはれ」から日本人の情緒について深く考えていました。それは感情だけでなく道徳や宗教、美術も包含した概念です。そして、岡潔のエッセイ集『春宵十話』(毎日新聞社)を読んで共感し、対談することになったそうです。

対談の内容は、特殊相対性理論をめぐるアインシュタインとベルグソンの対立など理解を超えるものでしたが、学問という知的な世界も情緒の上に構築しないといけないことはわかりました。そうしないと、人は本気になれないからです。

高3の夏休み、昼近くに高校に行くため汽車に乗り、読んでいた雑誌「リーダーズ・ダイジェスト」に載っていたのが、あるアメリカの黒人化学者の話でした。南部のピーナッツ農家が、豊作になれば価格が暴落し、不作になれば収入減で、慢性的な貧困状態にあったのを、加工技術によって産品を多様化し、そこから救い出したというのです。

私の家も農家で、小さいころから農作業を手伝っていて、農業には親近感がありました。そして、その化学者に自分を重ねて将来を展望することで、情緒的に納得できる生き方を展望することができたのです。最終的に農学部農芸化学科を選びました。

大学2年の春からある月刊誌の編集を手伝うようになり、不思議な縁で、奈良市の新薬師寺の近くにある岡先生を自宅に訪ねました。何度か聞いた話の中で今でも印象的に覚えているのは、子供のころ、菊の花がつぼみから咲くまで観察し続けたというものです。

生誕100年を記念して出版された『情緒の教育』(燈影舎)で、岡先生はそのことを詳しく書いています。小学6年の夏に足を怪我し、2学期をほとんど休んだ時、杖をついて裏山に登り、咲きそうになった菊の花を、毎日2時間くらい、じっと見続けていたのです。菊が好きになったのは、祖母が菊作りの名人だったからで、「情緒はずうっと尾を引くのですね。そしてその始まりは、たぶん32か月の童心のところから来ている」と。

大宇宙の中心との交流

『春宵十話』の「情操と智力の力」に次のようなくだりがあります。

「理想はおそろしくひきつける力を持っており、見たことがないのに知っているような気持になる。……基調になっているのは『なつかしい』という情操だといえよう。これは違うとすぐ気がつくのは理想の目によって見るからよく見えるのである。そして理想の高さが気品の高さになるのである」

戦後、仏教の光明主義を信仰するようになった岡先生は、『人間の建設』で次のように語っています。

「全知全能の大宇宙の中心である如来と、なぜ全く無知無能である個人との間に交渉が起るかということは不思議なことかもしれない。しかし全知全能な者は無知無能な者に、知においても意においても、関心を持たない。情において関心を持っているのです。……そこで交流が起るのではないかと思うのです」

この情のことを愛とも言い換えていますので、仏教で大宇宙の中心とする大日如来との情的な関係の大切さを言っているのだと思います。情緒の一部である道義については、祖父から「他(ひと)を先にし自分を後にせよ」と徹底して教えられたそうです。

私も今になってわかってきたのは、仕事も情緒の上に成り立っているということです。例えば執筆するにしても、どんな気持ちで臨むかがはっきりしないとよく書けません。ですから、それが定まるまでは別のことをしながら、頭の隅で考え続けるのです。

岡先生は、「西洋文化はインスピレーションを中心にしているが、東洋文化は情操が主で、情操が深まれば境地が進み、夏目漱石でも西田幾多郎でも老年に至るほど境地がさえていた」と言っています。また、「木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている」と。

情緒を基盤に知的、意的に建設していくのが自分という人間であり、情緒は積み重なりながら、命が尽きるまで大木のように成長していくものです。情緒の大切さは高齢になっても変わるものではありません。