春夏秋冬つれづれノートlocal_offerつれづれノート
ジャーナリスト 堀本和博
18キップ4月の甲斐路、桃源郷は逃がしても塩山温泉で格別のいい旅気分の思い出
甲斐の国(山梨県)の甲府から笛吹にかけて中央線の車窓から眺める、あたり一面をピンク色に染めた幻想的な景色はまさに「桃源郷」だったと言う。青春18キップの相棒のススメで、日程をやりくりしてひとりで出陣したのは春のキップ最終日4月10日、一昨年のことである。だが、時すでに遅し、桃の花は散り去った後だった。この時以上の暖冬だけに、今年の4月ももうシーズンははるか彼方であろう。
この時は仕方ないので、目的を温泉にして行き先を隣の甲州市に変更した。ぶどうで知られる勝沼町と南北朝から600年という温泉史を誇る塩山市などが平成17(2005)年に合併してできたのが人口約3万人の甲州市である。
塩山駅で降りて10分ほど歩くと、頭上に道路を横断する「塩山温泉郷」の看板。といっても、あたりはひなびた温泉街というより、普通の家々が建ち並ぶ静かな住宅街である。温泉街特有の小川や用水路に水はふんだんに流れているが、湯気は立っていない。その中に少し大きな家の温泉旅館が点在する。「宏池荘」もそんな一つで、隣接の公衆浴場が旅館客と日帰り客が利用する温泉となっていた。
「タオルがあれば買いたいのですが…」。「えっ、トイレは浴室にありますよ。…ああ、タオルですか。貸してあげますよ、終わったら洗濯機に放り込んでおいて。耳が遠いんで…」。「旅館名があるので、記念に買いたいのですが…」。「じゃあ、持っていってください。(えっ、お金?)入浴料だけでいいですよ」。
おかみさんと玄関で漫才のようなやりとりをしたあと浴室に入ると、水風呂と湯風呂に交互に入る温水浴の案内板。おかみさんが「水風呂が源泉でよく効くよ」と言ってくれたのを思い出した。たしかに湯風呂から水風呂に入ると、皮膚がたちまちにスベスベになって気持ちいい。効能あらたかで、桃源郷の夢ごこちとはまた格別のいい旅気分を味わったのである。
塩山では駅前の甘草屋敷も訪れた。江戸幕府の命で漢方薬の原料「甘草」栽培をした甲州民家だが、その庭の蔵の一部が「樋口一葉資料室」となっている。展示は貧弱だが、詳しい系図などの展示は興味深かった。五千円札の顔からは退場したが、海外では夏目漱石よりも評価が高いとも言われる一葉文学。その両親ともが塩山市出身なのである。