福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から(17)local_offer福祉のこころ
社会福祉士 福島けんじ
仲の良い障がい者家族の姿に触れて
私が勤めている病院の相談室で、入院患者Aさんの退院のためのカンファレンス(会議)がありました。来られたのはAさんの兄と3人の姉の合計4人でした。
Aさんは、約1か月前、高熱と喘鳴(ぜんめい)で救急搬送されてきました。診断は誤嚥(ごえん)性肺炎。食物が胃に流れず肺に入ったようです。
30歳代に脳出血で倒れたAさんは、65歳になる今日まで障害者施設で暮らしてきました。介護保険は最も重い要介護5。生活のほとんどに介護が必要です。独身のままのAさんは、とにかく食欲は旺盛で、食べることが唯一の楽しみでした。
搬送されてすぐに、抗生剤で熱を下げ、その後、入院して慎重に検査し食事の再開を目指してきましたが、誤嚥の危険性がなお高く、食事をとることは断念せざるを得ませんでした。
そこで、このカンファレンスの場で、「何としても食べさせたい。好きなステーキをせめて一口だけでも」と哀願するご家族に対し、医師は、高カロリー栄養を点滴注入するIVH(中心静脈栄養法)を勧めました。
「そうですか。どうしても食べられませんか」。ご家族はそろって肩を落としました。
食事ができなければ以前の障害者施設には戻れません。医師は、療養病院か、受け容れ可能な有料老人施設に入るかの二者択一になると説明し、ご家族での話し合いの結果を返事していただくことになりました。
カンファレンス後、ご家族は相談員に語ります。
「亡くなった父母はAを幸せにしなければ、私たちの幸せはないと言うんです」「小さい時から病弱で、それで、母は、とても苦労しました」「Aによって、弱い人への思いやりを学びました。今はそれぞれの生活がありますが、Aのことでは皆で集まるようにしているんですよ」
そして、家族がAさんの病室を訪ねて声を掛けると、うっすらと目を開き、やがて不自由な口から絞り出すように「兄ちゃん、姉ちゃん」と答え、まるで少年のように体を揺すって喜びを表しました。
私は、そんな家族の姿を見ていて、わが国初の重症心身障害児施設「島田療育園」(現・島田療育センター)の初代園長、小林提樹さんが、「家族の会」で話された言葉が浮かんできました。
「障がい児が与えられたとき、その子を家族の輪の中心に置けば、その子はその家の福の神にもなるし、邪魔ものとして隅に追いやれば貧乏神にもなりますよ」
弟思いの優しい兄姉の姿を見ると、Aさんは「福の神」であるに違いありません。
後日、Aさんの兄から相談室に連絡が入りました。「退院後は、病院ではなく、有料施設にします。妹たちがそこでステーキの匂いだけでも嗅がせてあげたいというんです」と。
それからしばらくして、Aさんとご家族は郊外の施設に向かいました。
私は、施設に向かう介護タクシーを見送りながら、社会もまたこうあればいいなと思いました。