機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から(50)

福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から(50)local_offer

精神保健福祉士 公認心理師 吉山みき

福祉への思い

若いころ、福祉という言葉を聞いても自分とは縁遠いものだと感じていました。ただ、社会的弱者といわれる人々に必要なものが、福祉サービスなのだとは思っていたものです。

さて、小学2年生の頃、クラスで仲間外れにされている同級生がいました。お風呂にあまり入ることができないのか、特異な匂いがする、縮れ髪の女児でした。お洋服も……。

学校を休みがちだった彼女のことが私は気になっていました。担任の先生が家庭訪問をするときは、私宅から、近い所にある彼女の家まで案内をしていました。彼女が欠席すると、先生からお願いされて、学習プリントや学校便りをアパートまで届けていました。給食のパンを届けることもありました。彼女の家族は、母親と妹さん2人の4人暮らし。訪ねると、風邪や発熱などの具合がわるい状態ではありませんでした。

いま思うと、ひとり親家庭で、妹さんのお世話もしていたのかもしれません。その時代は、
彼女のことをヤングケアラーなどとの表現をすることはありませんでした。頼まれものを届けると、彼女は目を細くして、口を横に広めに開いて「ありがとう」と必ず言ってくれます。私は「またね!」とだけ伝えて帰ります。やがて、彼女とはお友達になり、登校した時には一緒に遊ぶようになりました。届け物を渡したときの彼女の笑顔は今でもすぐ浮かんできます。

今は、福祉というものについて、次のように考えています。

社会的弱者のかたには、福祉制度における様々な「福祉サービスは必要であり、それをwelfare(よい暮らし)としての福祉」と捉えられるでしょう。また、「すべての人々が望む健幸をwell-being(よい状態)としての福祉」と捉えることができると思います。

誰もが健やかに生活し、幸福に暮らすことを望みます。その幸福とは、一人ひとりが感じる幸せのことであり、「主観的幸福感」ともいえます。海をみて、花をみて、公園に行き、陽を浴びて、深呼吸をして、風を感じ、山登りをして、走って、歩いて、絵を描き、読書し、音楽を鑑賞し、友人と話し、家族と共に食し、笑い、時折真剣に語り合う。また、亡き人に思いを寄せ、目にみえない大いなるものに包まれる……。どのような生活も、幸せを感じることは、一人ひとり主観によって違い、同じではありません。

老若男女すべての人々は幸せになることを願い、また、国は人々がどうしたら幸せに暮らせるようになるかと、取り組んでいます。

ところで、幸福と福祉について学生に講話する場が最近与えられました。私は学生たちの真剣に聴く姿勢から、たくさんのエネルギーをもらいました。また、つたない講話でも学生たちの心に何か残ったかなと思える感覚がありました。自分ひとりではなく他者との関係において生まれる共生感覚を持つことができ、私はこれも「しあわせ」と感じているのです。