福祉のこころ 地域医療・包括ケアの現場から (26)local_offer福祉のこころ
社会福祉士 清水道徳
コロナ禍に見る支援の原点、家族の絆
私は特別養護老人ホームで生活相談員として勤務している。このたびの新型コロナウイルス感染症では、全国でいくつもの介護施設で感染者が発生しており、そのような報道に接するたびに、そこで働く職員の苦労を思い、胸が痛むとともに、頭の下がる思いがする。80代、90代の高齢者が入居している施設は、ひとたび感染が発生すれば被害は拡大してしまう危険度が高い。各施設とも感染予防に尽力したことは間違いない。
私の勤務先の施設でも、行政通知等に基づき感染予防に取り組んできた。その最たるものが、家族面会の制限である。
コロナ対策が必要になってから、政府による緊急事態宣言が発出されるまでは、時間、場所を制限しての面会を許可していた。しかし、発出後は完全に面会は中止となった。
ところが、面会中止後ほどなくして、入居者の様子に変化が生じるようになった。ある認知症を患っている入居者は、それまでには無かった大声を上げるといった症状が現れた。また別の入居者は、食事摂取量が減っていった。いずれの入居者も、ご家族が頻回に面会に訪れていた方であった。
一方、家族からも、入居者の様子に変わりがないかを確認する電話が入ることが格段に増えた。「しばらく会っていないですが、うちの母は変わりないでしょうか」。
入居者と家族双方ともが面会制限により、ストレスを抱えていった。そのような状況が続き、私も内心、忸怩(じくじ)たる思いがしたものである。
面会制限後1か月ほどが経過したころ、施設ではタブレット端末を利用してのビデオでの面会を行うこととなった。直接会うことはできないが、タブレットの画面を通してでも、お互いの様子を確認していただければ、少しは安心してもらえるのではと考えたのである。
反応は予想以上のものだった。ある家族は、画面に映る入居者を見るや否や、「お母さん?」と泣きながら話しかけておられた。その様子を見た入居者も、涙を流しながら声ならぬ声を出していた。他にも少なからずこのような光景を、観ることとなった。
私は改めて、入居者にとっての家族の存在の大きさに気づかされた。私自身は相談員という職種なので、家族の存在は支援対象者として必然的に意識する。しかし、入居者の実際の日々の生活支援を行っている介護職員にとって、施設介護では家族の存在はみえにくくなる。在宅介護とは異なり、施設という閉鎖空間にあっては、ある面、家族を意識せずとも、入居者の生活は成立するからだ。
自宅での生活から施設での生活へと移行する中で、本来切り離すことのできない家族の存在が取り残されてしまっているのかも知れない。専門職がどれだけ支援に苦心したとしても、家族に代わることはできない。この当たり前のことが、忘れられがちではなかろうか。
入居者を中心に、家族と施設が一つとなって支援に当たる体制を築いていきたい。そして、入居者の想い、その背後にある家族の想い、両者の想いに焦点を当てた支援を心がけていきたい。
コロナ禍において、支援の原点を見つめ直す機会を与えられた気がする。
本欄は、TLSC(True Life Support Center:トゥルーライフ・サポートセンター)のメンバーが交替で執筆するものです。
TLSCは、医療・福祉の専門家有志が、人類一家族の理想実現を医療・福祉分野の視点から研究し運営しています。