芸術と家庭・・・文学編(11)local_offer芸術と家庭
長島光央
「失敗」に学ぶという視点
シェイクスピア悲劇のテーマ
シェイクスピアの名前は、その作品を読んだことがなくても、誰もが知っています。ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)は16世紀末から17世紀初頭にかけて多くの悲劇と喜劇を著して世に出した劇作家です。舞台で上映される演劇の脚本を書き、自らも舞台で配役を演じる舞台俳優でもありました。彼の作品を「家庭」というテーマから見ると、特に、「悲劇」作品、たとえば、『ハムレット』や『リア王』などにおいて、言い知れない家庭(王家)の悲劇を描きました。その悲劇たるや壮絶という以外に言葉がありません。
勿論、舞台作品として観客に楽しんでもらおうという目論見がありますから、誇張して悲劇をより一層の悲劇として描いた側面はあるでしょうが、悲劇を通して、人間の愚かさを徹底的に暴き出すことにより、悲劇に繋がるような人生を送ってはならないというシェイクスピア自身のメッセージを観客に送ることが心にあったとすれば、悲劇を反面教師として幸せな家庭を築いてほしい、人類よ、よくよく考えて、決して愚かな者になってはいけないと、シェイクスピアは本当の願いを伝えたかったに違いありません。
復讐の念にとりつかれたハムレット
デンマークを舞台とする悲劇『ハムレット』ですが、ハムレット国王が死んで、国王の弟クローディアスが即位します。先王のハムレットとその妃ガートルードの間には息子のハムレット(二世=主人公)があり、息子のハムレットは亡き父の亡霊によって、父の弟のクローディアスに毒殺されたことが告げられます。叔父が父を殺して王位を乗っ取ったという事情を知ったハムレットは復讐を誓い、折を窺(うかが)うことになります。しかし、何と、ハムレットの母親であるガートルードが夫を亡くしてすぐに叔父のクローディアスと再婚するという近親相姦罪的な展開に愕然たる思いをもって、ハムレットは貞節なき母を恨みます。憂愁と孤独の絶頂に立たされたハムレットは狂気錯乱に陥った振りを装いながら、復讐(叔父の殺害)の機会を窺うのです。
クローディアス王とガートルード王妃は、ハムレットの変わりように憂慮しますが、宰相ポローニアスは、ハムレットの錯乱は自分の娘オフィーリアに対する恋心のゆえにそうなったと思っています。そのオフィーリアに対して、ハムレットは「尼寺へ行け」と、愛情のひとかけらもないような言葉を投げかけます。そして、ハムレットと母親のガートルードが会話している所を隠れて盗み聞きしていた宰相のポローニアスを、王と誤って、刺殺してしまいます。ハムレットによって父を殺されたオフィーリアは悲しみのあまり狂い、溺死します。ポローニアスの息子であるレアティーズは、父を殺され、妹のオフィーリアを死に追いやったハムレットに怒りを燃やし、仇を討つ心を固めます。
ハムレットの危険さを恐れたクローディアス王とレアティーズは結託して、毒をぬった剣と毒入りの葡萄酒を準備し、剣術試合にハムレットを招いて、密かに殺そうと企みます。しかし、この試合の最中において、累積された恨みを総決算する悲劇が起きて、ハムレットの復讐劇は幕を閉じます。王妃のガートルードは毒入りと知らずに葡萄酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズは両者とも毒剣で傷を負い、ハムレットは毒剣でクローディアス王を刺し殺し、やがて、毒が回って、ハムレットもレアティーズも命尽きます。
悲劇を通して理想家庭の在り方を学ぶ
シェイクスピアの『ハムレット』は、デンマーク王家に起きる陰惨な悲劇であり、その悲劇の核心部分をどう捉えるかが問題になります。
まず、王家の相続争い(先王を毒殺し、その弟が王国を簒奪(さんだつ))の問題、新王の后に先王の妻が入ってくる(ガートルードの貞節はどこにあるのか)という倫理を問われる再婚問題、母(女性全般)への不信から恋人オフィーリアへの愛をも失ったハムレットの女性嫌悪(母親のダメなイメージを刷り込まれた男性は女性嫌いになる)、オフィーリアと父を失ったレアティーズのハムレットへの復讐心(復讐に燃えたハムレットの前に復讐に燃えるレアティーズが立ちはだかる=同類によって巡る因果応報)など、いくつもの掘り下げてみなければならないテーマがあります。
理想家庭のモデルがあれば、それをそのまま学べばよいということになりますが、この人類世界が辿った歴史の歩みにおいて、理想家庭を見つけることができないとなれば、家庭はいかにして失敗するのかという失敗の事例を学び、そうあってはならないという教訓を学び取ることのほうが意義深いものであると見ることもできます。いわゆる、「失敗に学ぶ」という視点です。ハムレットの悲劇はそれを提供してくれています。