機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・文学編(14)

芸術と家庭・・・文学編(14)local_offer

長島光央

童心が捉えた人生の真実

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

Andersen

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)は、デンマークが生んだ偉大な童話作家ですが、童話だけでなく、小説、戯曲、旅行記など、幅広い分野の著作に取り組みました。よく知られた「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」などは、世界中で愛されている童話です。子供を愛する優しい感情と純粋無垢な童心がなければ、優れた童話を書くことは難しいと思われます。アンデルセンは、その優しい感情、思いやり、汚れのない童心を持っていたということでしょう。

アンデルセンは、デンマークのフュン島にあるオーデンセで生まれました。生家は非常に貧しく、病身の父親は靴職人として細々と生計を立てていましたが、幼いアンデルセンによくおとぎ話や物語などを読んで聞かせていました。彼の文学への強い興味は、この父による感化が大きかったと思われます。その父を支えたのが、数歳年上の母親で、働き者であり、非常に信仰深い女性でした。11歳の時、アンデルセンは父を亡くし、学校を中退せざるを得ませんでした。母は、息子を仕立屋の職人にしたいと考えていましたが、15歳の時、アンデルセンは持って生まれた美声を活かし、オペラ歌手になることを目指します。コペンハーゲンに出たものの、歌手への夢は実現しませんでしたが、デンマーク王立バレエ団のバレエ学校にも在籍していたことから、ヨナス・コリン(コペンハーゲン王立劇場の支配人)が援助の手を差し伸べ、教育を受ける機会を得て、大学にまで行くことができました(卒業はしなかった)。大学では、文献学と哲学を学んでいます。

アンデルセンは、ヨーロッパをあちこちと旅行し、その見聞を活かしながら、『即興詩人』『童話集』『旅行記』などを書き、文名を上げていきました。文人たちとの交流も多く、バルザック、ユーゴ―、デュマ、ハイネ、グリム兄弟、ディケンズ、その他の多くの人士と交友を深めました。

絵のない絵本

アンデルセンの作品に『絵のない絵本』というものがあります。この作品は、1839年から1840年を中心に、アンデルセンの創作熱が最も高まっていた頃に書かれました。第1夜から第33夜まで、33の作品が収められているのですが、作品のスタイルが面白いのです。一人の貧しい絵描きに月が語りかけるという形をとっており、月が話してくれた内容が、作品になっていて、その話を絵にするならば、きっと素敵な絵本ができるだろうと言うのです。月は地球をぐるりと回っているわけですから、世界の各地で様々な人々の生き様、悩み、悲しみ、事件、出来事などを見ておりそれを絵描きに語って聞かせます。

従って、『絵のない絵本』の内容は、場所的にも、地球の様々なところの話にならざるを得ず、実際、パリ、スウェーデン、リューネブルク(ドイツ)、フランクフルト、イタリア、インド、グリーンランド、アフリカ、中国など、いろいろな地名が登場します。優しさ、ユーモア、諧謔(かいぎゃく)、苦悩などの心をもって、自在に筆を運んだ『絵のない絵本』は、浪漫性の高い彼の詩情そのものが作品の真価として輝いていると見ることができます。

失恋の連続で結婚には至らず

最後の第33夜の話を見ますと、月が、窓から小さな子供をのぞくと、子供たちがとても愉快であることを語ります。着物を着換える姿、靴下を脱ぐ姿、かわいらしい小さな脚、すべてが可愛いと月は言います。そういう子供の中で、一人の小さな女の子に目がとまり、月が観察していると、4歳になったばかりのこの女の子が「主の祈り」を唱えるのを見ました。「今日もわれらに日々のパンをあたえたまえ」というところにきたとき、女の子が、何か余計なことを言ったことに母親は気付きました。何と言ったのかを問いただす母親に、恐る恐る女の子は答えました。『お母さん、怒らないでね。あたし、パンにバターもたくさんつけてくださいまし、って言ったの』

童心の(童心過ぎる)アンデルセンに、女性たちは結婚相手としての魅力を感じなかったようです。結局、失恋の連続(3回)で、生涯未婚を通し、70年の生涯を閉じます。若い頃より孤独な人生を送ったため、人付き合いが下手だったこと、失恋の出来事まで正直に綴った自叙伝をわざわざ新しい結婚相手に送り、イメージを落としたことなど、その原因はいろいろ語られています。結婚願望はありましたが、結婚には至らない宿命を背負っていたでしょう。そのかわり、童心が捉える人生の真実を童話に書いて、人類の心を感動させました。きっと、童心の彼にふさわしい相手をあの世で見つけることができるかもしれません。