芸術と家庭・・・文学編(21)local_offer芸術と家庭
長島光央
悲しみの中で花咲く夫婦愛
賢者の贈り物
オー・ヘンリー(1862~1910)の短編小説の中に、『賢者の贈り物』(ザ・ギフト・オブ・マギ)という名作があります。感動的な内容で、世界の人々から愛されてきました。アパート住まいの貧しい若夫婦ジムとデラは、お互いに相手を思いやるその深い愛のゆえに、最高のクリスマス・プレゼントを贈ろうと考えます。
しかし、デラの手元にはたったの1ドル87セントしかありません。そこで、あることを考えつき、実行します。すなわち、デラ自身の長い髪を切って売ることで20ドルを得、手持ちの中の1ドルを合わせて21ドルにし、そのお金で夫のクリスマス・プレゼントとして時計鎖を買ったのです。ジムの最高の宝物と言えば、祖父から父、そしてジムへと受け渡されてきた金時計だけでした。その時計には古い皮紐がついていて、人目に付かないようにこっそりと時計を取り出して見るジムの姿を知っていたからです。
仕事を終え、帰宅したジムにデラはプラチナの時計鎖を渡しました。しかし、ジムは変わり果てたデラの姿を見て、ただ言葉もなく呆然としてしまいました。ジムは長い髪のなくなったデラのために、髪にさす櫛のセットを買ってきたのでした。亀甲で出来ていて宝石の縁取りがしてある高価なものです。デラは、櫛を胸に抱き、「私の髪は、とっても早く伸びるのよ、ジム」と微笑みました。ジムはというと、椅子に腰をおろし、両手を首の後ろに組んで微笑みながら、「櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ」と言いました。驚くなかれ、二人は、お互いの最も素晴らしい宝物を台無しにしてしまっていたのです。
賢者とはどういう人を言うのか
お互いの最も素晴らしい宝物である「長い髪」と「金時計」をそれぞれ売って、妻は夫に、夫は妻に最高の贈り物をした若い夫婦は、果たして、愚か者だったのでしょうか。長い髪のために買ってきた櫛のセット、金時計のために買ってきたプラチナの時計鎖。貧しい若い夫婦が、お互いを思いやった結果、妻の方は櫛をさす長い髪を売り払った、夫の方はプラチナの時計鎖を付ける金時計を売り払ったというのは、理性で考えると愚かな話のような話です。しかし、オー・ヘンリーは、この二人は現代の最高の賢者だったのだと結んでいるのです。
イエスが誕生したときに、東方の三博士(三賢人)が乳香、没薬、黄金を持参して贈り物としたという聖書の話を引き合いに出しながら、この若いジムとデラは東方の三博士に勝るとも劣らない賢人であると、オー・ヘンリーは書きました。一体、何を言いたかったのでしょうか。間違いなく、相手のために、自分の宝物を売り払って最高のものを贈ろうとする究極の夫婦愛を示したことによって、このジムとデラの二人は最高の賢者であると言っているのです。よく、こういう作品を書けたものだと思います。
オー・ヘンリーの結婚と生涯
オー・ヘンリーは、ノースカロライナ州グリーンズボロで生まれました。彼の父は医師で、母親はオー・ヘンリーがわずか3歳のときに亡くなり、彼は母方の祖母と叔母に育てられました。15歳で学業を終え、書記官として働き始めますが、その後、酪農家、薬剤師、製図工、銀行員、コラムニストなど、いろいろな仕事を転々としています。
1887年に、オー・ヘンリーはアトール・エステスと結婚します。1896年、病気のアトールと娘を残して、彼はテキサス州のオースティンからニューオリンズへと逃亡します。彼の生涯において不名誉な事件と言えるのですが、銀行で働いていた時に、銀行の金を横領したという嫌疑が掛かったことが原因です。彼は1898年、有罪判決を受けました。妻は病気のために、その前年の1897年、既にあの世へ旅立っていました。
オー・ヘンリーは、獄中で薬剤師として働いていたために、監房ではなく刑務所病院で寝起きし、模範囚として減刑され、1901年には釈放されました。
釈放後は、ニューヨークで作品を書き、人気を博します。『賢者の贈り物』に示された彼のエートス(道徳感情)は、哀愁を秘めていて、悲しみの中で花開く美しい夫婦愛の世界を描いていると言えます。病死したアトールとの関係においても、何かそういう切ない夫婦愛を分かち合っていたのでしょうか。作品を読むと、オー・ヘンリーは本質的に生真面目な作家であったように思います。1