機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・文学編(31)

芸術と家庭・・・文学編(31)local_offer

長島光央

物語で教訓を伝える

「眠れる森の美女」

童話はさまざまな教訓や歴史を読み解くことが可能であり、その読者層は幼年、児童に限りません。先行する童話が、異なる作家によって、いくつかのバリエーションを生み出す現象も見られます。

Charles Perrault

特に、シャルル・ペロー(1628~1703)の童話を、グリム兄弟(ヤーコプ1785~1863、ヴィルヘルム1786~1859)が脚色した作品は少なくありません。代表的なものとしては『眠れる森の美女』がそうです。グリム兄弟は話をよりシンプルにし、おとぎ話としてまとめました。これにより、グリムの作品が世間でよく知られるようになったと言われます。

ペローの『眠れる森の美女』の物語は、子宝に恵まれなかったある国の王様と王妃が、待望の美しい姫君を授かるところから始まります。王女の誕生に国中が喜び、王様は7人の仙女を招待して洗礼の式を盛大に挙げました。

式後の宴が始まろうとする時、招待されていなかった年老いた仙女がやってきました。王様は急いで食事を準備させますが、年老いた仙女はその扱いに腹を立てます。

食事が終わると仙女たちは、王女に美しさや優しさなど素晴らしい贈り物を授けていきました。ところが、6人目の仙女の順番が終わると、年老いた仙女が出てきて「王女は糸車の針に刺されて死ぬ」という呪いをかけます。しかし、まだ贈り物をしていなかった7人目の仙女が「私にはこの呪いを解けないけれど、王女が死ぬのではなく100年の眠りにつくようにする」と予言を変えました。そして、100年後に王子が来て、王女の目を覚まさせると言ったのです。

王様と王妃は娘を守るため、国中の糸車をすべて燃やすようにおふれを出しました。王女は美しく賢く育ちましたが、16歳の時に城の塔で老婆が使っていた糸車を見つけてしまいます。この老婆は塔にこもっていたため、王様のおふれを聞いていなかったのです。好奇心から糸車に触れた王女は、針が刺さって深い眠りに落ちてしまいました。それを聞いて駆け付けた7人目の仙女は、王女が目覚めたときに困らないよう城中の人々を眠らせ、魔法で城の周りを木やいばらで覆って誰も近づけないようにしました。

時は流れ、100年の月日が流れます。城のあった場所は、今では別の王様が治めていました。ある日、狩りで森の近くまでやってきたこの国の王子が、眠る王女の伝説を聞いて、いばらで囲まれた城に挑みました。不思議なことに、王子が近づくといばらは道を開き、難なく城にたどり着いたのです。

城の中で眠る王女を見つけた王子は、その美しさに心を奪われ、そばにひざまずきます。すると王女は目を覚まし、城中の人々も100年の眠りから覚めたのです。王子と王女は互いにひかれ合い、盛大な結婚式を挙げて幸せに暮らしました。

ペローの原作では、王子と結婚した後の話が続きます。二人の間には、「オロール」という名の娘と「ジュール」という名の息子が生まれ、幸せに暮らし始めました。しかし、王子の母親は人食い鬼の血を引いていて、二人の子供たちを食べようとするのです。グリム兄弟はこの部分を削除しました。

ペローの人生

シャルル・ペローは1628年1月12日、7人兄弟の末っ子としてフランスのパリで生まれました。裕福な家庭に育ち、父親は弁護士でした。彼もオルレアン大学で法律を学び、1651年に父と同じ弁護士になります。しかし、その道は合わなかったようで、26歳の時にパリの収税局長をしていた兄の書記となりました。その後、財務総監のコルベールに気に入られ、その下で財務管理や建築プロジェクトの監督をしながらフランス王室の文化や価値観に触れていきました。

ペローは44歳の時に、19歳のマリー・ギションと結婚します。6年間で3人の息子と1人の娘をもうけましたが、最後の子供が生まれた半年後にマリーは亡くなってしまいました。さらに、1683年までに王室のすべての職から退くことになったのです。

50代で公職を降りたペローは、第二の人生を、まだ幼い4人の子供たちの教育にかけます。当時は、ルイ14世が治めるフランス絶対王政の全盛期で、サロン文化が発達する中で洗練された物語が求められていました。ペローは王室で貴族社会と触れ合った経験から、口承文学として民間に伝わってきた物語に注目し、童話という新しい文学作品を生み出したのです。

代表的な童話集である『過ぎし昔の物語ならびに教訓』は1697年に出版されました。このとき、69歳でした。彼の作品は、子供たちに向けた道徳的な教訓を含みつつ、興味深く読めるようになっています。また、当時の社会や文化を反映させることで大人でも楽しめるものになっていたため、童話が文学作品として認められ、後世の作家にも大きな影響を与えました。

妻マリーの早すぎる死はペローにとって大きな悲しみでしたが、それでも彼は子供たちへの愛情を持ち続け、物語を通じて教訓を伝えました。この家庭生活が、後の童話作家としての成功につながったと言えるでしょう。

【参考資料】「ペロー童話集」(完訳):シャルル・ペロー(著)新倉朗子(訳)岩波文庫 1982年版、「シャルル・ペローとフランス民話」:樋口淳 民話の森叢書2 2023年版、「眠れる森の美女シャルル・ペロー童話集」:村松潔(訳)新潮文庫 2016年版