芸術と家庭・・・絵画編(12)local_offer芸術と家庭
岸田泰雅
ひときわ輝く結婚式の思い出
幻想と夢幻の世界を生きたアンリ・ルソー
アンリ・ルソー(1844~1910)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家であるが、非常に個性的であり、その絵画は幻想に満ち満ちている。作品のほとんどが静的であり、動的なものは少ない。躍動感に乏しいのである。それでいて作品をじっと見ていると、謎めいた作風に引き込まれ、ある種の寓話性を含んだ絵画に違いないと思ったりする。有名な「眠れるジプシー女」は、夜の砂漠で深い眠りにつくジプシー女が描かれている。それだけならいいが、そこに1匹のライオンが寄ってきて、女性の匂いを嗅ぐが、決して噛みついたりしない。その光景を月の光が照らしている。現実にはあり得ない光景であろう。アンリ・ルソーの空想力が描かせた絵画である。
作品の幻想性とは違って、実際のアンリ・ルソーは、非常に現実と密着した仕事に就いた。彼は、1893年まで税官吏として働いた。退職して、画家に専念し、画業を本格的に開始したのが1893年以降であったから、アンリの49歳の時からが、いわゆる画家アンリ・ルソーの人生である。勿論、税官吏時代にも作品は描いていたのであるが、本格始動は49歳を超えてからであり、そういう意味では通常の画家たちが辿った道のりとは違う異色の経歴だと言える。
二度の結婚と結婚式の思い出
アンリ・ルソーは、最初の妻クレマンスとの間に7人の子供を儲けるが、クレマンスが結核を患っていたため、子供たちも幼くして次々に亡くなった。1888年、そのクレマンスも亡くなり、2番目の妻、ジョゼフィーヌと結婚する。しかし、彼女にも1903年に先立たれることになり、家庭的に恵まれない人生を、アンリ・ルソーは送った。
このようなアンリ・ルソーの人生を考えると、彼のどこかものさびしい静的な作品群には、二人の妻に先立たれたことや子供を次々に亡くしたことなど、悲しい思い出がつくる彼の心象風景が、影を落としているのではないかと考えたくなる。
後妻のジョゼフィーヌを1903年に亡くした2年後の1905年、ルソーは「田舎の結婚式」を描いた。白いドレスをまとった花嫁は、宙に浮いているように見える。花嫁のベールは祖母のドレスの上に届くように描かれているのであるから、遠近法的に見れば、花嫁はもう少し前の位置に描かれて、地についた姿にしなければならない。実に不思議な描き方である。花嫁の後ろに立つ5人の人物の中で、右から二人目が作者のアンリ・ルソーその人である。従って、この絵画はどこかよその結婚式というのではなく、ルソー自身の結婚式、そして彼の花嫁の晴れ姿を描き出したものであると考えざるをえない。
アンリ・ルソーの思い出の中でひときわ輝いていたのが、自身の「結婚式」の記憶であっただろう。愛の人生を象徴する最大の行事としての「結婚式」である。花嫁を絵画において宙に浮かせたのはなぜか。単なる遠近法的なミスか。それとも何か理由が隠されているのか。ルソー自身がそれを明確に語ってくれる以外には本当のことは分からない。しかし、敢えて推測させてもらうとすれば、宙を舞うような喜びが結婚であることを表すものであると考えたい。その証拠に、ルソーの愛に満ちた眼差しは、背後から視線を落として花嫁に注がれている。さらには、自分よりも先にあの世に旅立った二人の妻に対する思い、すなわち、霊界への旅立ちが早かったことを「宙に浮く」姿として描いたと見てはどうだろうか。残念ながら、ルソーが語らない限り、真実は闇の中である。
二人目の妻ジョゼフィーヌが亡くなって2年後、「田舎の結婚式」が描かれた。その時期的なタイミングの背景には、独り身となったアンリ・ルソーの脳裏に焼き付く彼自身の「結婚式」の思い出が、拭い去り難く深く結び付いていたことがあったにちがいない。
独特の画風が世界に認められる
アンリ・ルソーの作品は、当初、幼稚であるなどの厳しい批評にさらされたが、ピカソやカンディンスキーなどの現代画家が高く評価するに及んで、彼の作品の評価は一気に高まった。アンリ・ルソーは、49歳から画業に転じた経歴から、いわゆる主流の画壇において覚えられることなく、独学で画を学んだことなど、条件的には恵まれていなかった。しかし、今日、アンリ・ルソーの人気は不動のものとなっている。
シュルレアリストの先駆者と仰がれるアンリ・ルソーであるが、フランスを出たことがなく、ジャングルを一度も見たことがないにもかかわらず、好んでジャングルを描くのは、子供のような想像性を楽しむ純粋無垢な世界を、彼は持っていたからである。亡くした子供たちのことをいつまでも心に秘めて、絵筆をとっていたのかもしれない。