芸術と家庭・・・絵画編(13)local_offer芸術と家庭
岸田泰雅
「信仰」と「幸福」
ル・ナン兄弟が残した名画たち
17世紀は、日本で言えば、江戸時代初期に当たるが、フランスではルイ13世からルイ14世へと王位が継承されたブルボン王朝(1589~1792)が、その支配権を行使した時代である。強運のルイ14世は、スペインを打ち負かし、スペインが持つ領土を次々に割譲させ、領土拡大を図った。まさに「太陽王」の名で、君臨したのである。
そんな時代の農村を、主として、風景ではなく、農村の人物群や日常の生活を中心に描いた画家がいる。正確に言うと、一人ではなく、三人一組のチームプレイで活躍した兄弟たちで、彼らを「ル・ナン兄弟」と呼ぶ。その3人は、長男、次男、三男の順序で言えば、ルイ(1593頃~1648)、アントワーヌ(1599頃~1648)、マチユ(1607~1677)であるが、彼らは共同で作画することが多かった。従って、署名には、「ル・ナン」とだけあって、一人で描いたのではなく、三人、もしくは二人の合作であることを表すことが多かった。
ル・ナン兄弟の描いた作品には、「幸福な家族」、「農民の家族」、「鳥かごを持つ子供」、「テーブルを囲む四人」、「鍛冶屋」など、多くの農村風俗画があり、また、王侯、貴族の肖像画もたくさん残されている。17世紀のフランスを代表する秀逸な風俗画・肖像画の秀逸な画家が、ル・ナン兄弟であると言ってよい。
彼らの数ある作品の中でも、長男のルイ(もしくは、次男のアントワーヌ)の作として知られる名画が、「幸福な家族」(1642年、ルーヴル美術館蔵)である。
幸福な家族
「幸福な家族」は、別称「洗礼からの帰宅」とも言われ、教会で洗礼を無事に受けた幼児を、帰宅してのち、祝福する家族の姿が描かれている。父親は、ワイングラスを掲げ、満足げな笑みを浮かべている。若い母親は、我が子を大事そうに抱いている。祖母もしっかりと幼児を見つめ、「洗礼」という大きな宗教行事を済ませたことに胸をなでおろしているかのようだ。画面の左端には、先に生まれた10歳に届くか届かないかくらいの兄がいて、さらに、その弟と見られるもう一人の子供が右端に立っているのが分かる。母親の抱く幼児は、男児なのか女児なのか判然としないが、頭を包んだ被り物を見ると、可愛い女児のように見える。
この絵に「幸福な家族」と名付けた理由については、父親と母親の充実した表情がすべてを物語っていると言えよう。さらに言えば、洗礼を受けるというキリスト教の「救いの条件」を、当時のフランス社会が厳しく守っていたこと、それをこの幼児はクリアできたことに対する安堵と祝賀の気持ちが、何よりも「幸福」の意味を示していると思われる。
こういう画題を描くことに意義を感じたル・ナン兄弟は、実際、非常に宗教的で、信仰深い兄弟であった。懸命に生きる農村の一家族の姿が「洗礼行事」のあとの祝賀として切り取られた名画「幸福な家族」は、時代を超えて、「信仰」と「幸福」が表裏一体の関係であるという、現代ではほとんど忘れ去られそうなテーマを思い起こさせる作品である。この作品は、「幸福な家族」と喜びを共有したくなるような安らぎのある絵である。
17世紀の欧州の時代的背景
ル・ナン兄弟が生きた17世紀のヨーロッパは、実は大変な時期であった。その最大の原因は宗教戦争である。1618年から1648年までの30年間、ヨーロッパは北ヨーロッパと南ヨーロッパに分かれて、いわゆる「三十年戦争」を戦った。
それまで、ヨーロッパ全土をキリスト教信仰の面から支配していたローマ・カトリックに対して、1517年、マルチン・ルターが反旗を翻し、その宗教改革の事件を機に、欧州ではルターを支持するか、それとも反対するかで諸侯が分かれ、混乱が続いたが、ついに、1618年をもって、北欧圏の諸侯はルター支持、南欧圏の諸侯はローマ・カトリック支持で結束し、大戦争に入った。そして1648年のウェストファリア条約締結で終戦に至った。その結果、北欧はプロテスタント(反カトリック、新教)、南欧はローマ・カト
リック(旧教)ということになった。ここに、信仰上の勢力版図として、欧州大陸は、北半分をプロテスタント(反カトリック勢力)に奪い取られることに落着したのである。
こういう時代背景を踏まえ、ル・ナン兄弟が生きた時代、特に、「幸福な家族」(1642年)を描いた時点のフランスには、カトリック信仰を死守するルイ14世時代の宗教熱があったと見るならば、この作品は、また、別な意味を感じさせるのである。