機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・絵画編(21)

芸術と家庭・・・絵画編(21)local_offer

岸田泰雅

本当の「笑い顔」を求めて

フランス・ハルスの「風景の中の家族」

フランス・ハルスの「風景の中の家族」

17世紀のオランダの大画家であったフランス・ハルス(1582~1666)は、多くの作品を残しているが、その中に「風景の中の家族」(1648年)という絵画がある。まさに風景の中に描かれた家族である。どんな家族なのか詳細は分かっていないが、非常に満ち足りた豊かな家庭、幸せな家族であることは作品から大方、推測できる。

画面のやや左寄りに夫婦が手を握り合って描かれているが、二人とも笑顔であり、しっかりと手を取り合っていることから、仲の良い円満な夫婦であるように見える。そして、左端に息子の姿があり、右端に娘が描かれている。それだけかと思ったら、よく見ると、娘の隣に黒人の姿がある。召使であるこの黒人少年の白い襟が描かれていなければ、彼の姿は風景と同化して、そこに一人の人物が描かれているとは、誰も気づかないだろう。

黒人の召使がいることによって、この家族が貿易関係の仕事に携わっているかもしれないという想像がつく。17世紀のオランダは非常に勢いがあり、西インド諸島などに海外貿易で進出していたから、それらの地域の黒人の子供を買い取り、オランダへと連れて来たのかもしれない。あるいは、奴隷商人から買い取ったのだろうか。

フランス・ハルスは、作品の中の人物を、ほとんど笑顔で描いたことから、「笑いの画家」と呼ばれた。そう言えば、この「風景の中の家族」も、黒人の召使を除いて、みな笑顔で描かれている。

海洋国家としてのオランダ全盛時代

17 世紀のオランダは、スペイン、ポルトガルの隆盛が終わった後、ヨーロッパ随一とも言える全盛を誇っていた。芸術面でも、レンブラントやフェルメールなどの活躍があり、彼らと肩を並べて、画筆を揮ったのがフランス・ハルスであった。

ヨーロッパ各国が貴族文化の伝統を築いていたのと対照的に、オランダはフェルメールなどの絵画を見ても分かるように、庶民の文化を作り上げていった。海洋国家として貿易で財を蓄えたオランダは、幅広い中産階級を育て上げ、富裕な国民が庶民の文化を育て上げたのである。

フランス・ハルスの「風景の中の家族」は、まさに、そのような富裕な中産階級の家族であったと見られる。小さな国であるが、海外貿易での富が、国民に行き渡っていたと考えることができる。ハルスが描いた肖像画が笑顔で描かれることが多かったのは、彼の趣向による面もあったかもしれないが、日常生活においても笑顔の庶民に出会うことが多かったからでもあるだろう。もちろん、貧しい人々もいたであろうが、当時のオランダ国民は総じて幸福だったと見てよいのかもしれない。

宗教的には、30年戦争(1618~48)の終結の際に結ばれたウェストファリア条約(1648)によって、北欧がプロテスタント(新教としてのキリスト教)、南欧がカトリック(旧教としてのキリスト教)に勢力を分けることとなり、オランダはプロテスタントの国家としてその基盤を固めた。このような背景もあって、フランス、イタリア、スペインなどの貴族的な上流階級を中心とするカトリック文化とは違って、庶民的な中流階級のプロテスタント文化をオランダは担ったと考えてもよいだろう。

フランス・ハルスの家族

当時のオランダの社会状況の背景などを探っていくと、フランス・ハルスの人間像がある程度、浮かび上がってくる。彼が「笑いの画家」というニックネームがつけられるほど、人物の肖像画をほとんど「笑い顔」で描いたのは、彼自身、笑顔が好きであったという証であるが、そのことが、直ちに、彼の家族の幸福感に繋がるかと言えば、そうではなかった。

残念ながら彼は、いろいろと家族のトラブルを抱えていたことが伝えられている。「笑い顔」が専売特許であったにもかかわらず、おのれの家族にそれがなかったとすれば、逆説的な意味で、彼に「笑い顔」を求めさせたのは家族であったということになる。

笑い顔を描きながら、本当の笑い顔を求めていたハルスは、「笑いに満ちた幸福な家庭」を追い求めていたと言える。笑い顔が好きであっても、本当の「笑い」と「笑顔」がなければ、人生の充足感は得られない。これがハルスの教訓である。