芸術と家庭・・・絵画編(27)local_offer芸術と家庭
岸田泰雅
結婚式を総出で祝う村人
ブリューゲルの「農民の婚宴」
フランドル(現在のベルギー、オランダ、フランスにまたがる歴史的な地域)で活躍した画家に、ピーテル・ブリューゲルという人物がいる。ご存知の方もいるだろうが、ピーテル・ブリューゲルという名の有名な画家は二人いる。すなわち、「農民画家」と呼ばれ、『バベルの塔』、『雪中の狩人』などの名作を残した父ピーテル・ブリューゲルと、その父親の作品を数多く模写したことで知られる子ピーテル・ブリューゲルである。
子のピーテル・ブリューゲルは地獄の様子を描いたため「地獄のブリューゲル」とも呼ばれるが、特筆すべきは模写の名作を残した稀有な画家だということである。彼が父の模作を描いたのは、作品数が少なく、死後も人気のあった父の作品の需要が高かったため、それに応えたいという思いがあったからだろう。彼は父から直接絵画を学ぶ機会はなかったが、大きな自然の力に支配される人間世界を独自の様式で描いた父の画風を相続し、見事に表現している。
父ブリューゲルの作品に『農民の婚宴』があるが、子ブリューゲルが描いたこの絵画の模作は5点存在していると言われる。
ここに掲載しているのはそのうちの一つで、東京富士美術館に収蔵されている。原作では、結婚式の会場は納屋の中だが、この絵画では屋外になっている。同美術館のホームページでは次のように解説されている。
「画面右手の前景に、戸板で作ったと思われる配膳盤に、オランダ語でヴライと呼ばれるフランドル地方特有のプディングの皿を載せて運ぶ二人の男が描かれている。緑色の幕の下で、髪を長くのばし、冠を被り、黒の礼服に身を包んで坐る若い女性が花嫁である。その他の女性たちは白い頭巾のようなもので髪を覆い隠している。花嫁の両側の婦人は母親と姑で、花嫁の左隣りに坐る3人の男は、花嫁側から順番に、父親かあるいは公証人、フランシスコ派の修道士、村の領主か村長または判事、と推定される。反対側には二人のバグパイプ奏者が立っていて、赤い服の男のほうはご馳走に見とれて吹くことを忘れている。さて、花婿はどこにいるのだろうか。当時の慣習では、花婿は客人をもてなす役割があったといわれ、そうだとすると、画面右手でヴライを手に取りテーブルに配っている茶色の服の男性か、画面左手隅でジョッキにビールを注いでいる黒い服の男性ということになる」
農民画家ブリューゲルの生涯
父ブリューゲルの生涯についての資料は、カレル・ヴァン・マンデルの記した逸話的な伝記以外、あまり残っていない。伝記によると、彼はアントウェルペンの画家ピーテル・クック・ファン・アールストに弟子入りし、その後、版画出版業者の下絵画家となったとされている。下絵画家時代は宗教画の巨匠ヒエロニムス・ボス(1450~1516)風の寓意版画を多く手がけ、相当の人気を博したようである。
ブリューゲルが画家としてのキャリアを出発したアントウェルペンは航海の拠点都市であり、貿易でも栄えた、当時のヨーロッパで1、2を争う大都会であった。ヒエロニムス・ボスから大きな影響を受けたブリューゲルであったが、まだ中世の価値観が色濃い時代に生きたボスと、大航海時代の国際都市で暮らしたブリューゲルとでは描く時代の息吹が異なっていた。宗教的・寓意的な作品を多く描いてきたブリューゲルが晩年、農民の生活を題材にした世俗的な絵画も好んで描くようになったのは、そのような時代的背景と無関係ではないだろう。
イタリア旅行でアルプスの高地から雄大な風景と人々の営みを見下ろす体験を重ねたブリューゲルは、晩年はブリュッセルに移り住んで制作に励んだ。『農民の婚宴』を含め、
農民を描いた絵画の代表作はほとんどこの時代に描かれたものである。田園には自然とともに働き、縁日や婚礼では羽目をはずして楽しむ、真に人間らしい暮らしがあった。ブリューゲルは、そのような暮らしを営む農民一人ひとりを個性的な相貌をもつ人間として表したのである。ブリューゲル自身、近郊の農村の縁日や結婚式を訪ねたと伝えられており、『農民の婚宴』の画面右端に描かれている、修道士と会話する横顔の紳士は彼の自画像ではないかと推測されている。
結婚は人生最大の慶祝事
結婚式と言えば、人生の節目となる大きな慶祝事である。少ない人数でひっそりと挙げる結婚式もあるだろうが、基本的には大勢の人に祝ってもらいたいものである。中世のヨーロッパでも、農民の結婚式は、村人をみんな招待して、たとえ貧しくても精一杯御馳走をふるまい、歌い踊るというのが通例であった。結婚式は村人総出の賑やかな行事であり、そこでの飲み食いは農民にとって大きな楽しみであった。『農民の婚宴』の画面いっぱいに描かれた、人々が押し寄せてきている光景が、結婚式の活気と喜びを存分に表現している。
アダムとエバに対して「うめよ、ふえよ、地に満ちよ」と祝福された神は、男女二人の結婚式を、最高の祝福を受ける儀式として位置づけられた。つまり、結婚式は神にとっても、人々にとっても、最高の喜びであったのである。この作品は、農民画家であり、宗教画家であったブリューゲルが最も描きたかったテーマだったのかもしれない。