芸術と家庭・・・音楽編(9)local_offer芸術と家庭
吉川鶴生
令和の時代にふさわしい調和の世界実現を
音楽は家族のようなもの
家族のようにいくつかの楽器が寄り添うとき、美しい音楽を聴くことができます。たとえば、ピアノとヴァイオリンとチェロが一緒に奏でられるとき、当然ながら、ピアノソロでもなく、ヴァイオリンソロでもない音の世界が広がるのです。
一つの身近な例を挙げますと、アメリカの作曲家ブライアン・クレインの作品である、ピアノとチェロのデュエットの「スプリング・ワルツ」を聴くと、ピアノの軽やかでロマンチックな音とチェロの重厚な音が、お互いに絡み合って、得も言われぬ音楽の世界が聞こえてきます。
ピアノだけでも素晴らしいのですが、チェロが一層のロマンチシズムを掻き立てるかのような効果を付加しており、全体として、奥行きの深い音楽が作り出されています。複数の楽器が一緒に奏でられるというのは、そういうことなのです。家族という言葉が、父と母そして子供たちがいて成立するのと同じです。愛のバラエティーが生まれる家族のように、音のバラエティーが家族愛と同じような世界を作り上げます。
家族は愛で一つになる
夫と妻の性格が非常に異なり、そんなに相性がよくないはずなのに、それでも夫婦としてうまくやっているということがありますように、あまり組み合わせられることのない楽器を組み合わせて、魅力的な作品が出来上がることがあります。
モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」がそのような作品の代表として挙げられます。この曲を仕上げるのに、モーツァルトもだいぶ苦心したようですが、今では、よく演奏される名曲となっています。性格の違うフルートとハープが協力し合って一つの調和を奏でるという努力は、第2楽章の「アンダンティーノ」にその結晶を聴くことができます。
天才モーツァルトの技量が遺憾なく発揮された作品と言えるでしょう。家族が愛で一つになるように、楽器もまた作曲家によって愛の調和を作り上げるのです。
兄弟が力を合わせて何か大きな仕事を成し遂げるときのように、同じ兄弟である楽器がデュエットで音を奏でる場合があります。例えば、ハルヴォルセンの「パッサカリア」を聴きますと、同じ弦楽器の兄弟としてチェロとヴァイオリンの息がぴったりと合い、見事な演奏が出来上がっていると言えます。兄弟ですから呼吸が合い、歓喜の舞が出来上がるのです。
違う者同士が一つとなり一大家族を形成
トリオで魅惑的な音響世界を作り上げるのがジャズであることは、ピアノとドラムおよびベースが紡ぐ音色の素晴らしさを聴けば、なるほどと合点がいくはずです。非常に乗りがいいのです。
ピアノ、ドラム、ベースはそれぞれ違う特色を備えた楽器ですが、これらが「共に働き(共働)」、「共に奏で(協奏)」、「美しく和する(令和)」とき、ジャズの世界が輝くのです。人間世界に例えると、白人と黄色人と黒人が一緒に働き、一緒に歌い、一体化の調和をなすようなものです。実に素晴らしい世界であると言えます。
さらに、もっと華やかに楽器を増やし、ピアノ、サックス、ベース、トランペット、トロンボーン、ドラムといった構成でやると、ジャズの華麗な世界が聴く者を魅了します。木管楽器や金管楽器が加わると、音が自由に踊り始める印象があります。
最終的に、最も大掛かりな楽器編成になると、管楽器と弦楽器を中心に構成される、いわゆる、管弦楽団(オーケストラ)になります。管楽器、弦楽器の他に打楽器、それにピアノ、ハープまで加わる楽器の総動員体制が壮大な音響世界を現出せしめるわけです。
世界の国々には数えきれないほどの管弦楽団があります。管弦楽団は交響楽団と呼ばれることもありますが、楽器編成などの違いはありません。呼び名が違うだけです。壮麗無比、欣喜雀躍の世界を表現する偉大な音楽の創造力がオーケストレーションにおいて実現されるのです。古い世界は去り、新しい世界が現れる人類一家族世界といった雄大な人類の夢を語るのであれば、それは「オーケストラ」のかたちで表現する以外にはないでしょう。
現在、世界の混乱は収まる気配がなく、ますます、ひどくなってきているように思われます。音楽的に言えば、それぞれの楽器が自己主張し、不協和音を醸し出して「騒音」の世界を作り上げているような状態であると言えます。1日も早く、令和の時代にふさわしい「調和」の世界が実現されることを心から願います。