機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・音楽編(16)

芸術と家庭・・・音楽編(16)local_offer

吉川鶴生

家族を歌う時代

人類は家族の文化を作り上げていく

どこの国であれ、人々は歌を聴き、歌を歌う生活を楽しんでいます。特に、音楽機器の発達した現代では、歌は生活の一部となり、聴くことと歌うことは老若男女すべての人にとって、人生を享受する一つのかたちとして定着しています。流行歌はその典型であり、ポップスや演歌などを、人々はいろいろな集いやカラオケで楽しく歌っています。

そのように見ると、現代文化の一つの特徴は、かつてないほどの「歌の文化」だということであり、その文化の核心が「愛の文化」になるのは、必然的な帰結です。その理由は、歌は深く愛に結びつく特性を有しているからです。今後、本然の愛の文化が花開くとき、その愛の中心に「家族愛」が位置を占めることは間違いないでしょう。

息子娘が父母の愛を歌い上げる孝行愛、孝情の世界がテーマとなり、兄弟姉妹がお互いを思いやる愛情の世界や、夫婦が感謝し合い助け合って生きてきた愛の世界がテーマとなり、それらの家族愛の文化が、音楽世界において歌というかたちで結実します。こういった親子、夫婦、兄弟の愛の絆、家族の絆が、大切なテーマとして歌われるのは、人類の文化のかたちが本質的に「家族の文化」であることを立証するものです。

家族に思いを馳せる歌の世界

日本の歌謡曲を聴くと、実に様々な愛の歌があり、中でも、家族に目を向けた曲が少なからずあることに驚かされます。こんなにも家族を思う歌があったのかという感慨です。たとえば、北島三郎さんは、「ああ・おふくろょ」「父親(おやじ)」「帰ろかな」などを歌っていますが、こういう情緒は、多くの(昭和世代の)日本人が自然に抱くことのできる世界であると思われます。古い世代であればあるほど、苦労の多い人生を送ってきた体験を共有していますから、父親がどうであり母親がどうであるかなど自然に分かるのです。また息子や娘がどうしているだろうかと父母の切ない心情が吐露されるのです。

浜田省吾さんが思い描く日本の父親像は、彼の素晴らしいロック・スピリットのリズムに乗せて、「I am a father」の中に見事に表されています。男気を演出する彼の流儀は、文句を言わず、日本の社会と家族を支える男たちの世界を描きます。決して、社会の中のチャンピオンでもヒーローでもない男たちであっても、家族のために懸命に生きる男としてのプライドを持ち、強くたくましく生きる男の誇りを、ロックの中に爆発させたのです。それこそが、日本の成長を支えてきた中産階級、サラリーマン諸君に、熱狂的な浜省ファンが多い理由でしょう。「J. Boy」で、歯を食いしばって生きる男性諸君に励みと力を与えた浜田省吾さんは、そのファンたちを失うことなく、ますますファン層を広げながら、家族愛の大切さを訴えつつ、感動の涙と生きる力を与え続けています。

島津亜矢さんの「感謝状.母へのメッセージ.」、西野カナさんの「Always」などは、その歌のうまさもさることながら、そこに歌われた口にできない母への感謝の思いというものが伝わってきて、「いい歌だなあ」と心安らかに聴ける歌です。島津亜矢さんは本当に歌唱力のある人で、歌に説得力があります。また西野カナさんが歌う「愛というカタチないもの すべてを包む大きなもの」という歌詞は愛の本質をよくとらえています。

GReeeeN の「遥か」、コブクロの「バトン」なども、非常に深い歌です。GReeeeN の歌う「本当の強さ 本当の自由 本当の愛と 本当の優しさ」は、結局、家族愛に裏付けられた背景から生まれてくるものです。コブクロが「バトン」の中で歌い上げる生命への畏敬は、家族が歴史的に作り上げた愛の証としての「生命の連なり」、その血統を作り上げる家族愛の尊さに、感謝の思いが降り注がれています。

人生の喜怒哀楽のすべてがある

日本のミュージックシーンに多く歌われている家族の風景は、世界どこの国でも基本的には同じであると考えてよいでしょう。それは、生命の揺籃期から人生の最期を迎える瞬間に至るまで、家庭、家族という愛の囲いがその人を包んでいるからです。そこに涙もあり、喜びもあり、人生の喜怒哀楽のすべてがあるからです。

家族という心情共同体があって、人生の辛さを越えていけるのであり、家族という基地があってこそ、心安らぐ安息と充電の場所を持つことができるのです。