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APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・音楽編(20)

芸術と家庭・・・音楽編(20)local_offer

吉川鶴生

野心なく争いを嫌う

ガブリエル・フォーレ

ガブリエル・フォーレ

フランス音楽の確立者と言われるガブリエル・フォーレ(1845~1924)は、ロマン派初期から後期、そして現代音楽へと続く時代の中に、その名を刻んでいます。

フォーレが作曲家として活動を始めたころのフランスでは、オペラやバレエ音楽が優勢でしたが、フォーレはこうした音楽に背を向けて、室内楽曲、歌曲、ピアノ曲などを書きました。


彼はドイツ歌曲に匹敵する優れたフランス歌曲を数多く残し、近代フランス音楽史上の重要な存在となっただけでなく、印象派誕生の礎ともなったのです。


フォーレの父親は教師で、師範学校の校長まで務め、母親は実直温和なよき母でしたから、彼もまた、温厚で思慮深く、何事にも不平を言わない信念の人物でした。


自然の中で想像力を豊かに育みながら時を過ごし、その感性を生かして作曲に専念するフォーレからは、世俗の立身出世や金銭的欲望といったものが、ほとんど感じられません。彼の風貌そのものが、まるで仙人のようです。


フォーレは、サン=サーンスを非常に尊敬していましたが、そのサン=サーンスが彼に言った言葉が、「君はあらゆる才能を持っているが、一つのことが欠けている、それは野心だよ」だったと言います。フォーレほど社会的な意味で私利私欲がなかった作曲家は珍しく、彼は常に自分の置かれた状況の中で、最善を尽くし、決してそれ以上のものを求めようとはしませんでした。誰にもまねのできないような清冽な人生を送った人物が、フォーレその人であったと言ってよいかもしれません。

「レクイエム」の最高峰

フォーレの代表作から見える音楽的な特徴は何でしょうか。フォーレの代表作と言えば、まず浮かぶのが「レクイエム」です。

「レクイエム」は多くの作曲家たちの手によって書かれていますが、フォーレの「レクイエム」こそが、最高峰に位置する傑作であることは、ほぼ間違いないでしょう。どこをとっても美しく、かつシンプルで、何度聴いても飽きない感動的な名曲です。


チェロやフルートなどにアレンジされて親しまれている歌曲「夢のあとに」、「ペレアスとメリザンド」の付随音楽の一つ「シシリエンヌ(シチリアーノ)」、チェロ作品の「エレジー」、ピアノ組曲「ドリー」など、非常に多くの人々から親しまれているフォーレの代表作は、どれもシンプルで美しいメロディーを持つ心優しい作品です。


フォーレが数多くの小品を書いた背景には、サロンという小規模の演奏会で発表する機会が多く、彼がこの作品発表の場としてのサロンを非常に愛していたという事実があります。オーケストラ作品よりも、美しい小品を作る方が、フォーレの性に合っていたのかもしれません。


「対立――人と争うこと」、これは、フォーレが一番嫌ったことでした。忍耐と努力をもって対立をなくそうとした彼は、その音楽もまたあるべき美しさを信じて余計なものを付けくわえないようにしました。このように、フォーレの作品の風格は、彼の性格と見事に一致していました。

フォーレの結婚と家庭

サン=サーンスの友人で彫刻家のエマニュエル・フレミエは、フォーレの音楽を称賛し、支援した人でしたが、彼の娘マリーは、フォーレに思いを抱き、二人は1883年に結婚します。9カ月後には長男が誕生、そののちに二人目の息子が生まれます。

しかし、フォーレの名声が高まる中で、マリーは自分には何の才能もないと思いつめ、夫との間にすきま風が吹くようになって嫉妬と自意識によって悩まされるのでした。


そのような中、フォーレは、自分の音楽に理解と愛情を持ってくれた、ユダヤ系銀行家シジスモン・バルダックの妻エンマと不倫に落ち、彼女は「ドリー」という娘を出産します。


この娘にちなんで作られたのが、ピアノ組曲「ドリー」です。ドリーは1985年、92歳で亡くなるまで、この事実を伏せました。やはり、フォーレも聖人というわけにはいかず、秘められた女性関係を持ったのです。


ピアノ組曲「ドリー」は、エンマとドリーの母娘に捧げられたフォーレの愛の証しでした。