機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・音楽編(29)

芸術と家庭・・・音楽編(29)local_offer

吉川鶴生

生活や郷愁を豊かに描き出す

「アメリカ音楽の父」フォスター

Stephen Collins Foster

「ケンタッキーの我が家」、「主人は冷たい土の中に」、「故郷の人々」(「スワニー河」)などの傑作で知られるスティーブン・コリンズ・フォスター(1826~64年)は、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する作曲家であり、世界中の人々に愛される歌曲を遺しました。感情豊かな歌詞と親しみやすいメロディは多くの人に愛され、そのノスタルジアはいかにもアメリカ的であったので、彼は「アメリカ音楽の父」と称されています。

フォスターは、ペンシルベニア州ローレンスビル(現在のピッツバーグ市内)の比較的裕福な家庭で生まれました。正式な音楽教育は受けなかったものの、幼い頃から独学でさまざまな楽器を演奏し、その才能を早くから現していました。10代から作曲を始め、13歳の時に作った「ティオガ・ワルツ」を学校の卒業式の時にフルートで演奏しています。最初に出版された曲は1844年の「窓を開け、恋人よ」で、そこから音楽家の道を進むことになります。

「おおスザンナ」の大ヒット

フォスターは1846年に、兄が経営する蒸気船会社で働くため、オハイオ州のシンシナティに住み始めます。そこは、河川交通の要所で、さまざまな文化が交差していました。同時に、オハイオ川で隔てられた隣の州は奴隷制度が残っていて、多くの黒人奴隷が自由を求めて逃げてくるような場所でもありました。ここでの経験と環境が、彼の音楽活動に影響を与えたと考えられています。この期間に彼が発表した「おおスザンナ」は、最初のヒット曲となります。軽快で陽気なメロディが特徴的で、当時のアメリカの雰囲気や、人々の生活感を感じさせるものでした。

当時、フォスターは、白人のパフォーマーが顔を黒く塗り、黒人の口調や動作をまねて歌やダンスをする「ミンストレル・ショー」に関心を持っていました。「ミンストレル」とはもともと、中世ヨーロッパで活躍した吟遊詩人や職業芸人、音楽家を指す言葉です。それが、19世紀の初めのアメリカで、黒人を装ったパフォーマンスをしていたグループが「バージニア・ミンストレルズ」と名乗って評判になったため、同様の大衆演劇のことを意味するようになっていきました。

初期のフォスターの曲は、当時の一般的な偏見を反映した歌詞が使用され、白人の観客に向けた娯楽として黒人の文化や習慣を軽視するものが含まれていました。しかし徐々に、粗野な表現や風刺的な内容よりも、黒人の人間性を強調し、彼らの生活や感情を描写する楽曲を作るようになります。また、音楽的にも多様なスタイルを取り入れることで、ミンストレル・ショーの音楽をより魅力的なものとしました。

フォスターの結婚と家庭

フォスターは1850年、ピッツバーグの有名な医師の娘ジェーン・デニー・マクダウェルと結婚し、翌年に娘マリオンが生まれました。その後も精力的に作曲活動を続け、「草競馬」「故郷の人々」(「スワニー河」)「主人は冷たい土の中に」や、妻への思いを表現したと言われている「金髪のジェニー」など、代表作を生み出します。多くは、ミンストレル・ショーで広く歌われ、アメリカのポピュラー音楽の礎となりました。

成功を収めていたように見えるフォスターでしたが、作曲だけで家族を養っていくのは簡単ではありませんでした。当時は著作権の保護が十分でなく、彼自身も契約や作品の管理に不慣れで、適切な報酬を得られていなかったのです。さらに1856年に兄が亡くなると、フォスター家自体が経済的に厳しくなっていきました。

1860年、妻子とともにニューヨークに出ます。ここで楽譜を売って収入を得ようとしましたが、南北戦争が始まることで音楽への需要も減っていきました。困窮する生活の中で、妻子もニューヨークを離れて親戚のもとに身を寄せてしまいます。フォスターは、酒におぼれるようになって健康状態も悪化し、満足のいく作曲ができなくなっていきました。

1864年1月10日、マンハッタンのホテルに滞在中であったフォスターは、大量に出血した状態で倒れているところを作詞家のジョージ・クーパーによって発見されます。すぐに病院に搬送されましたが、3日後に息を引き取り、37歳で短い人生の幕を閉じました。

フォスターは生涯で200以上の曲を作りました。ミンストレル・ショーの歌は、白人向けの娯楽の意味合いがありましたが、彼は黒人の人間性を強調し、単なる風刺やエンターテインメント以上のものを作り出そうとしていたようにも見えます。フォスターの音楽は、人々の生活や心の奥底にある郷愁を豊かに描き出しているからこそ、今日まで愛され、歌い継がれるものとなっているのでしょう。

【参考資料】「夢みる人:作曲家フォスターの一生」藤野幸雄(著) 勉誠社 2005年出版「アメリカ音楽史ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで」大和田俊之(著) 講談社選書メチエ 2011年出版