機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」人生を豊かにする金言名句(16)

人生を豊かにする金言名句(16)local_offer

ジャーナリスト 岩田 均

あとの者は先になり、先の者はあとになる

解釈が難しい新約聖書の一句です。「マタイによる福音書」に出てくるのですが、日常生活の中で似たような経験を一度ならず何度か味わっていませんか。

この句は、第19章にもありますが、特に、第20章のたとえには疑問符を付ける人もいるかもしれません。朝から働いた人と、夕方から来て働いた人の賃金が同じという話です。”なぜだろう”。私はそう思いました。

かなり後になって、三浦綾子著『新約聖書入門』という本に出合って納得できるものがありました。三浦さんは、賃金とはお金そのものというより、「祝福」を比喩していると説明しています。

そうすると、金額の多寡や労働時間の長短が問題ではなくて、祝福を受け取れるか、受け取れないかの違いなんだと。朝9時から働いても、12時からでも、夕方5時からでも、同じ「1日1デナリの約束」だけれど、受け取ることができるのだからありがたいことなんだと。先に来ていて約束のものを受け取っているにもかかわらず、それに気づかないために、「先の者はあとに」なってしまうというわけです。なるほどと思いました。

この解釈は、読む人によって感じ方など違うと思いますので、一つの見方として紹介しました。

ところで、同じ賃金というたとえで思い出すのは少し以前のことですが、近所であった「お裾分け事件」(勝手に命名した出来事)です。ある主婦がお裾分けを受け取りましたが、それに不満を漏らしました。「これっぽっちか!」と。配った主婦は、なるべく多くの近所の人にわたるよう、小分けにした袋を準備したようです。

お裾分けができる近所付き合いはほのぼのとします。ですが、人間関係が難しい現代。「分け隔てなく」と神経を使います。特定の人だけにあげておけば、こうはならなかったでしょうけれど、それができなかった事情もあったのかもしれません。受け取ることを「ありがたい」と思うか、何かと比較をしてしまい「損した」と思うか。約束されていたならなおさら、受け取ることを素直に喜べたら、それは幸せなことですね。