機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」日本人のこころ〈92〉

日本人のこころ〈92〉local_offer

ジャーナリスト 高嶋 久

芳賀徹『平賀源内』

博物学の時代

平賀源内

江戸時代の”マルチ天才”平賀源内は享保13年(1728)、今の香川県さぬき市志度町に生まれました。同町には、源内の旧邸や源内記念館があり、源内作のエレキテルや源内焼などを展示しています。地元の人たちは親しみを込めて「源内先生」と呼び、小中学生が発明を競う「平賀源内発明くふう展」や、源内焼やエレキテル作りに挑戦する「志度・源内ふるさとまつり」が催されています。

讃岐高松藩・蔵番役の家に生まれた源内は、子供のころから好奇心旺盛で、13歳でからくりを作ったほど。地元の篤農家・三好喜右衛門(きえもん)に本草学(博物学)を学び、学問への目を開かれます。本草学とは薬学と植物学を合わせたようなもので、喜右衛門は農地開墾や池の造築、製陶も行い、それらを源内に教えました。転機となったのは、第5代藩主・松平頼恭(よりたか)に見いだされ、宝暦2年(1752)に長崎留学をしたことで、出島で目にした海外の計器類や測量機に刺激されます。源内はそれら機械の仕組みを研究し、静電気発生装置「エレキテル」や温度計、量程器などを復元・製作します。

18世紀、欧米では自然科学の発達から博物学が盛んになり、その波はオランダを介して鎖国時代の日本にも伝わってきます。戦国時代が終わり平和な世の中になると、各藩も殖産興業に取り組むようになり、藩主らも博物学に関心を寄せました。源内も博物大名の一人だった松平頼恭の命で相模や紀州の海岸で貝を採取し、『紀州産物志』や『貝殻目録』を著わし、讃岐の山野の植物採取も行っています。

やがて江戸に出た源内は、石綿製の布や陶器、秩父での鉱山開発などに取り組みます。文士の才もあった源内は、江戸弁を使って滑稽本や狂本を書き、浄瑠璃作家としても数々の作品を出版しました。江戸の名所や世評を活写した作品は評判になり、今でいう人気作家で、「江戸戯作の開祖」となります。源内の影響を受けた作家や画家は数多く、鈴木春信と絵暦交換会を催し、浮世絵の隆盛にも一役買っていました。生き様を表したような奔放な筆致による自己表現は明治の夏目漱石や森鴎外にまで及び、近世・近代文芸の源流といえる存在だったと評価されています。もっとも源内自身は、生活苦や事業の失敗による借金の穴埋めに書いているような気持ちが強かったようです。

やがて源内は、各地の本草学者や篤農家らと交流し、珍しい産物を集め「物産会」や「薬品会」を何回も開くようになります。同時代の画家に、動植物の細密画で知られる天才・若冲(じゃくちゅう)もいて、ヨーロッパと離れた日本にも自然科学が芽生えてきたのです。

讃岐の名産・和三盆の製造にも源内は深くかかわっています。当時、白砂糖は輸入品が大半で、将軍吉宗は砂糖の国産化を進めました。そこで源内はサトウキビ栽培と砂糖の製造法を書いた『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を出版し、讃岐の農家は上質の和三盆の製造に取り組み、藩の収入を増やしたのです。

本草学で才能を発揮し、鉱山開発の山師になり、戯曲や滑稽本を書いて人気を集め、油絵まで描き、江戸時代に源内ほど多彩な活動を展開した人はいません。その足跡は長崎から秋田に、上は幕府の田沼意次から下は庶民まで及び、さらにオランダ商館の外国人とも親しく交流しています。親友の杉田玄白は『蘭学事始』に「この男、業は本草家にて、生まれ得て理にさとく、敏才にしてよく人気に叶ひし生まれなりき」と書いています。

パクス・トクガワーナ

源内のことがよく分かるのが、比較文学者だった芳賀徹(とおる)東京大学名誉教授の『平賀源内』(ちくま学芸文庫)で、サントリー学芸賞を受賞しています。芳賀教授は「新しい歴史教科書をつくる会」の結成者の一人で、扶桑社の中学教科書『新しい歴史教科書』の監修もしています。退官後は岡崎市美術博物館や静岡県立美術館の館長を務めました。

芳賀教授は徳川時代の平和を高く評価し、パクス・ロマーナをもじって「パクス・トクガワーナ」と名づけたほどです。18世紀のヨーロッパと比較しながら、江戸時代の面白さを次のように描いています。

「東西を問わずこの世紀は博物学の世紀だったといえるのではないだろうか。ヨーロッパで専門の動植物学者たちはいうまでもなく、王や王妃も、貴族やブルジョアの男女愛好家たちも、ジャン=ジャック・ルソーやエラスムス・ダーウィンのような哲人や詩人までも、そして独立前後のアメリカでは将軍も政治家も牧師も医者も、みな動植物の採集と蒐集(しゅうしゅう)、また飼育や栽培に目の色を変え、新種変種の発見や生理と分類の新説に一種恍惚たるセンセーションをおぼえていた。ちょうどそれと同じころ、遠い太平洋をへだてたこの日本の孤島でも、…上は大名連から下は旗本や諸藩の藩医や市井の学者や商人や地方の豪農などにいたるまで、実に多様な階層職種の人間が、本草学・物産学・地誌・演藝などの名のもとに趣味と実利とを兼ねた博物研究に熱をあげ、競いあっていたというのは、思えばまことに不思議にも面白い文化的平行現象だったのではないだろうか」

そんな江戸時代の活気が明治の近代日本を生んだのです。来年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、貸本屋から「江戸のメディア王」になった蔦屋重三郎(じゅうざぶろう)を主人公に、江戸の発展ぶりが描かれるでしょう。