春夏秋冬つれづれノートlocal_offerつれづれノート
ジャーナリスト 堀本和博
蕗の薹(ふきのとう)は雪解けの土の中から顔を出し、待望の春来るを告げる使者
〈春の寒たとへば蕗の苦み哉〉 成美(せいび)。
1年前の2月も立春を過ぎたころだった。食卓に出た鰹節の佃煮のようなものを口にした。味噌味にかすかなほろ苦さが混じっていた。聞けば、蕗の薹を刻んで合わせたのだと言う。
近くの路傍で摘んできたというのだが、まだ小さくて少し早過ぎたようである。その10日ぐらいあと、今度は近所の人から庭の草むらから採ったというものを頂いた。こちらはまさに旬のほろ苦いが快い味覚がしっかりと早春の訪れを告げてくれたのだ。
今年も、記憶が刻んだ、あの味覚が待ち遠しい季節を迎える。スーパーの惣菜コーナーでは蕗の薹やコゴミ、タラの芽など山菜の天ぷらが並んで食欲をそそられるからではない。早春が旬の葉っぱものは、その苦みが冬の間に溜めた脂肪を溶かすから健康にもいいとされる健康志向からでもない。春が待ち遠しいのである。
暖冬だと言われる今年だが、暦の上では小寒(1月6日)、大寒(同20日)から立春(2月4日)と続く。立春を過ぎても春の気配はなお遠く、冬がしっかり居すわっているのが例年である。日の出は日ごとに早くなっても、日本海側の地方では吹雪が続く。東日本でも季節の冬はこれから本番なのだ。それが2月なのだ。
老身には骨にこたえる寒の間、風の冷たさに身を縮ませて過ごすうちに迎える、ようやくの2月。だが、しばらくはまだ冴え返りの日を繰り返すだろう。それでも、今年も雪解けの土の中から顔を出し、寒さの中にも春来るを告げるのが蕗の薹である。独特の香りや苦みは若芽に蓄えられた、春の躍動を後押しする旬のエネルギー源である。
蕗はキク科の多年草。薄緑色をした葉のコートに包まれて卵形の花芽を出す。山菜の代表格だが、都会でも庭の草むらや林などでよく見かける春告げの使者なのだ。
もっとも、ロシアの作家ツルゲーネフは『父と子』の中で〈時のすぎるのが早いか、遅いか、それに気づくこともないような時期に、人はとりわけて幸福なのである〉と書いている。時間を超越して没頭する、そんな心持ちを味わえるのは、いったいいつになったらであろうか、とも思うのである。