芸術と家庭・・・文学編(25)local_offer芸術と家庭
長島光央
夫婦二人三脚で世界平和に尽力
「自由の真髄」で述べた新渡戸稲造の精神
新渡戸稲造(1862~1933)は、日本の教育者・思想家であり、農業経済学・農学の研究も行った人物です。国際連盟事務次長も務め、英語も堪能でした。著書の『武士道』は、流麗な英文で書かれ、今に至るまで、長年にわたって人々に読み継がれています。また、東京女子大学初代学長も務めています。
論語にある「己の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」の一句こそ実に自由の定義をよく述べ尽したものである、と書いた新渡戸稲造の評論が、「自由の真髄」と題して『実業の日本』(1919年3月1日)に掲載されました。彼は矩とはどういうものかと問い、これには内と外との二つがあると述べました。外の矩は、外部からくる要求、圧迫、強制等で、風俗習慣も国の法律もその類です。自分が心から心服して何の不平もなく甘んじてそれに従い、あるいはもしそういう法律がなかったなら、自分から進んで拵(こしら)えたいと思うような矩であるならば、自己の意志の欲するところに合致する以上、外部の矩とは言い難い。立憲国の法律などは国民自身が制定するものであり、己の欲するところであって、その間に内外の区別をすることは難しいと言っています。
世間一般で認められている矩(法律)を破れば、その罰として世間から処罰されることになり、自ら法に規定された罰を受ける結果になります。心の中で納得しないことでも、大概のことは、国の法を遵奉し、社会や国家と調和すれば、世間の排斥も侮辱も圧迫も受けることなく、いわゆる自由を享受できるのだと述べています。
しかし、法律を守ってさえいれば自由であるかというと、それはやはり外的な自由だけであって、心の底まで納得する自由とは言えません。国の法律に対して、服従できないことがあるのに、表向きだけ遵奉するというのは、内的な矩(本心、良心が叫ぶ内なる法)を超えるものではないと新渡戸は言います。
世の中で名もなく位もない、いわゆる田夫野人であっても、その思うところ欲するところは王侯貴族に劣らぬものが沢山あります。各自には冒すべからざる所信または思想があります。その深い所を「良心」といい、陽明学者のいう「良知」、人の人たる「本心」、孟子のいう「是非の心」など、心の中の何者かの声が存在すると、新渡戸は強調していま
す。
先覚者は内なる法律に従う
人々の心に宿るのは、昔、「皆人のまいる社に神はなし こころの中に神ぞまします」と教えたその神のことであり、誰彼の区別なく、内なる何者かが各自に宿っていることを、新渡戸は言明します。これが、「内的な矩」(内なる良心の声)の意味であり、この声をよく守る者は善良なる人、悉くこれに従えば、聖人君子です。孔子は内的な矩に従うことが如何に難しかったかを語っているのです。
一般の人々が善良なる法律と見做(みな)しているものも、先覚者の眼より見れば、時代後れであったり、無意味であったり、有害であると認めざるをえないものが少なくありません。この場合、外部の矩が服従を要求しても、内部の矩はこれに反対を命じます。そこで内外の衝突が起きて、何れの矩に従うべきか、闘争が心の中に起きます。このような場合、多くの人々は内部の矩を棄てて外部の矩の要求に従い、安全に、自由に世を渡ることを望みます。しかし聖人君子のような先覚者になると、外部の矩より内部の矩の方が大切であると考え、己の心に反していわゆる安易な自由を求めることを潔いとしません。彼らは、世俗の安定や名誉、利益を犠牲にしてでも、なおかつ内部の本心の自由と平安とを得ようとする、と新渡戸は述べています。
例えば、吉田松陰は「かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂」と詠みました。彼は、時の法律に背くならば、自分の生命の危ういことは百も承知した。即ち外部の矩に背けば外部の利益、自由、生命までも失うことを承知しながら、如何せん、止むに止まれぬ命令が心の中に発せられ、その矩に従わざるを得ないところに立ち至ったのです。イエスの生涯を見ても世の人々の望むように身を処し、言いたいことも言わず、潔いと思わないことを行い、時の政府の意に背かずにいたなら、あのような運命に遭わず、あのような悲惨な死を遂げなかったであろう、と新渡戸は書いています。
信仰で結ばれた夫婦
国内外で、政治、教育の分野において活躍した新渡戸稲造は、1891年に、フィラデルフィアでメアリー・エルキントン(新渡戸万里子、1857~1938)と結婚しました。彼女は、キリスト教フレンド派(クエーカー教徒)の家系で、生涯にわたって夫を支えました。非常に教育熱心で、私財を投じて夜学校などを設立しています。信仰で結ばれた二人は、世界平和のために尽力し、その生涯を人類のために捧げました。