芸術と家庭・・・絵画編(16)local_offer芸術と家庭
岸田泰雅
偉大な「家庭的勝利者」ヤコブ
風景画家クロード・ロラン
「ヤコブとラバンとその娘たちの風景」という聖書に題材をとった画は、フランスのロレーヌ出身のクロード・ジュレ(1604-82、一般的にクロード・ロランと呼ばれる)の作ですが、彼は、貧しい家に5人兄弟の一人として生まれました。12歳で孤児になり、木彫り職人の兄ジャンと共に、ドイツのフライブルクに移住し、その後さらにイタリアへ移住します。ローマ、ナポリなどで修業し、1627年(23歳)には、二つの風景画により、教皇ウルバヌス8世をパトロンにするという僥倖(ぎょうこう)に浴します。
クロード・ロランは風景画家として有名ですが、風景の中に描かれた人物たちは小さく描かれ、それに比べて、風景そのものの存在感が圧倒的に強いのが特徴です。そのように風景を主体に描くということは、17世紀のイタリアでは考えられなかった画法でした。その頃のイタリアでは、人物が主体で、人物たちの背景に添えられるようにして描かれるのが、風景でした。クロード・ロランはそれを逆転させたのです。
「ヤコブとラバンとその娘たち」の関係性はどうなっているのでしょうか。ヤコブから見ると、ラバンは舅に当たります。すなわち、ラバンの二人の娘を妻にしたのがヤコブでありました。それは、ヤコブが最初から願った話ではなく、本当は妹のラケルを妻に迎えたかったのですが、妹が先に嫁ぐというのは土地の風習にないから、妹が欲しければ、先ず、姉のレアを娶ってほしいとラバンに言われ、仕方なく、そうしました。その後、ラケルとも無事に結婚を果たし、二人の妻を持つということになったのです。
ラバンという人物は、ハランの地(現在のトルコ)に住んでいました。実は、彼の妹に当たるリベカという女性がヤコブの母親ですから、ラバンはヤコブの伯父であり、なおかつ、舅であるという関係です。画面の赤い衣をまとったのがラバンです。左端にいるのがヤコブです。二人の女性は、ラバンの二人の娘であり、同時に、ヤコブの二人の妻ということになります。ややこしいと言えば、ややこしい関係です。羊が描かれているのは、ヤコブの仕事が、主として、羊飼いであったからです。
旧約聖書「創世記」のヤコブの物語
クロード・ロランによって描かれたこの絵は、旧約聖書の最初の巻物である「創世記」の中の物語からとっています。なぜ、ヤコブは伯父(母の兄)の元で暮らしているのでしょうか。創世記を読むと、その理由が分かります。ヤコブは兄のエサウと仲違いをしており、二人の関係は非常に険悪なものでした。家督相続権(長子権)を弟であるヤコブがエサウから奪い取ったことから、兄弟関係が一気にこじれたのです。
しかし、家督権の横取りという事件(目の見えなくなった父のイサクがヤコブを勘違いして祝福し、長子権をヤコブに与えた)は、実は母親のリベカが仕掛けた出来事であり、ヤコブはその母親の指示に従っただけです。このこと以来、兄のエサウは弟のヤコブを殺そうと機会を窺っていました。そこで、危険を察知したリベカは、ヤコブを兄のラバンの元へと逃がすのです。これが、「ヤコブとラバンとその娘たちの風景」という画題が生まれる背景にある物語ですが、話はこれで終わりません。
一見、平和で牧歌的な風景が、クロード・ロランによって描かれているようであるにもかかわらず本当のところは、この伯父の家でヤコブは大変な苦労をしているのです。21年間、ラバンの元で苦役に服したというヤコブの述懐が聖書にあるように、非常に狡猾な伯父であり、10回も騙されて、使役させられたというのが、本当の話です。ヤコブの熱心な仕事ぶりで、ラバンは非常に裕福になり、ヤコブを手放そうとしません。
ヤコブはイスラエル民族の始祖に
旧約聖書の創世記が、これほどまでにこだわってヤコブの物語を入念に記述した理由は、このヤコブから、古代イスラエル民族(ユダヤの民)が形成されるからです。ヤコブは子宝に恵まれ、レアとラケルの間に12人の男子を儲けることができました。この12人から、それぞれ12部族が形成され、全体としてイスラエル民族ができあがったのです。「イスラエル」とは、ヤコブの別名であり、神からの啓示によって頂いた貴い名前です。ヤコブから出たヤコブ民族、即ち、イスラエル民族というわけです。
次々に襲う試練と苦労を乗り越え、偉大な民族の始祖になり、崇められているヤコブは、聖書の視点から見ると、偉大な「家庭的勝利者」と言われます。ハランを離れ、エサウとの再会を果たしたヤコブは、兄と和解を遂げ、人生の勝利者として称賛されるのです。