機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・絵画編(22)

芸術と家庭・・・絵画編(22)local_offer

岸田泰雅

悲惨な人類史の始まり

神から追放されたカイン

エホバの呪いより逃避するカイン

旧約聖書の「創世記」を見ると、人類始祖アダムとエバは、カインとアベルという二人の子を儲けたとある。しかし、神に愛される弟アベルを見て、カインは嫉妬し、彼を荒野で殺害してしまう。このことによって神から追放されたカインは、エデンの東の方にあるノドの地に移り住んだ。ヘブライ語の「ノド」は、「放浪」という意味を含んでいる。すなわち、ノドの地で、生涯、放浪生活を送る運命を背負ったのが、カインの一族であった。おそらく、カインの家族やその一族は、東の方のアラブの砂漠地帯をさまよい、放浪生活を送ったのであろう。

以上のようなカインの物語を、フランスの画家フェルナン・コルモン(1845~1924)は、「エホバの呪いより逃避するカイン」(1880年作)という作品に表した。2年がかりで描き上げた入魂の作であり、1880年のサロンの入選作となった。この作品をフランス国家が買い上げ、コルモンはレジオン・ドヌール勲章オフィシエ賞を受賞する。現在、この作品はオルセー美術館にある。

苦難の流浪をするカインの家族

カインの家族及び一族の生活が幸せなものであったのか、それとも苦難に満ちたものであったのかは、コルモンの画を見れば一目瞭然である。彼の作品には、流浪を重ねるカインの家族の苦悩が疑いようもないほどはっきりと描かれている。この画に描かれている一族のうち、先頭を行く老人がまさにカインであり、荷車を引いているのはカインの息子たちであろう。荷車の上には髪をボサボサにした女性が、両手に幼い子供を抱きかかえて乗っている。男たちは狩りで捕らえた獲物を担いだり、ぶら下げたりしている。砂漠の大地を流浪しながら必死に生きる一家の姿が手に取るように分かるのである。

アベル殺害の後、神はカインに「あなたが土地を耕しても、土地はもはやあなたのために実を結びません」と言われた。その宣告どおり実を結ばない土地においては、砂漠の生き物たちを捕まえて食料とするのが精いっぱいの生活であったに違いない。その苦しみは想像を絶する。

コルモンの画には、石器時代を思わせる「原始性」が漂っており、神に反逆した人類の放浪と生活苦が、迫真のタッチで描かれている。人類の悲惨な歴史の始まりであるカインの家族の姿を描いた絵画はそう見当たらないが、コルモンはそれを見事に描き、後世の人々に伝えることに成功した。実際に見たわけでもないカインの一家を描くコルモンの想像力は、さもありなんという説得力を持っていて面白い。

堕落のない世界が「高度の文明性」を持つ世界であるとすれば、戦争の原型を表すカインのアベル殺しは、「野蛮な原始性」の世界を象徴するものである。そういう雰囲気を存分に表現した「エホバの呪いより逃避するカイン」は、苦痛と悲しみの人類の出発点を遺憾なく表現した作品として、間違いなく人々に記憶されるであろう。

華々しい活躍を生涯に残したコルモン

ゴッホやロートレックなど、数々の巨匠を教えたのが、フェルナン・コルモンであると言えば、彼の偉大さがわかるというものである。その他、ベルナールやマティス、藤島武二など多くの門下生が、コルモンのアトリエから巣立っている。コルモンは18歳のときに絵を描き始めたが、1870年以降、毎年、サロンに入選し、作品の多くは国家買い上げ
となった。30代で既に名を馳せており、1880年代、モンマルトルのクリシー通りにアトリエを開いた。多くの若い画家たちが、コルモンの画塾に押しかけ、アトリエは大盛況であった。

フェルナン・コルモンは、1845年、パリで生まれたが、父親は劇作家のウジェーヌ・コルモンであり、母親は女優であった。両親の遺伝子から、非常に優れた芸術的才能を受け継いだのであろう。数えきれない傑作を残し、数々の賞を受賞するとともに、多くの画学生を教えた。そして1912年にはフランス画家協会会長に就任し、フランス画壇の頂点に立った。

コルモンの数多くの傑作の中でも、特筆されるのはやはり「エホバの呪いより逃避するカイン」であると思われる。この作品を見て、コルモンは人類の悲惨な家族の始まりをカインの家族の中に捉え、それゆえ、人類の願望が「理想の家族」の探求であることを訴えているような気がしてならない。