芸術と家庭・・・音楽編(10)local_offer芸術と家庭
吉川鶴生
愛の思い出が詰まった場所
家族・ホームを魂のふるさととして歌う
ハナレグミの永積タカシさんが歌う温かな家族の風景を彷彿とさせる「家族の風景」、中島みゆきさんの曲をカバーして桜井和寿さんが歌った「糸」、ふるさとを思い出させてくれるアンジェラ・アキさんの「HOME」、母親が亡くなったときに作った一青窈さんの「影踏み」、家族の幸せをほのぼのと歌う星野源さんの「Family Song」、沖縄や家族を懐かしく思い出して歌うBEGINの「三線の花」、これらの歌を聞くと、なぜかくつろぐことができて、やっぱり家族が一番だなと思わせてくれます。
望郷の歌や家族を思う歌は、どうだからこうだからという理由付けを抜きにして、ほとんどの人々が好きになってしまうものです。なぜかと言えば、それが魂のふるさとを歌っている歌だからです。山口百恵さんの「秋桜」を聞くと、何とも言えない母親への思いが、聞く人にも感情移入されて、泣きたい気持ちになるのも、それがふるさとの家族(母)を思う歌であるからです。それ以外の理由はありません。
永積さんが「7時には帰っておいで…」とお母さんが言うようなどこにでもある家族の風景をさりげなく歌うとき、大抵の人は、何だか懐かしいなあとなるのです。「縦の糸はあなた、横の糸はわたし」、こうして男女が一つに織り成して家族ができる…。桜井和寿さんの情感のこもった歌唱の魔術が、聞く人を虜(とりこ)にしてしまいます。
アンジェラ・アキさんの「手紙」は大ヒットした名曲ですが、「HOME」という名曲も忘れてはなりません。ふるさとが呼んでいる…。ふるさとを離れ、人生を他所(よそ)で踏み出しているが、離れてみると、なぜか、ふるさとが懐かしくてたまらない。そういう心情を切々と歌い上げている曲です。一青窈さんは「ハナミズキ」でその人気を不動のものにしましたが、「影踏み」という曲も相当な人気曲であり、今は亡き母の影を踏んで生きている様子が伝わってきます。しみじみと母親への思いを込めて、自分も母になっている姿の中で母を偲びます。
星野源さんは、人気があり、なかなか多才な人であるという感じですが、彼の歌う「Family Song」は、単純明快に、楽しく幸せな家族の雰囲気がストレートに伝わってきます。沖縄が生んだBEGINは、沖縄の楽器「三線(サンシン)」の響きを基調にして、沖縄の叙情を遺憾なく表現しています。その代表曲が「三線の花」です。素晴らしい曲です。
人はなぜ家族を恋しく思うのか
人はなぜ家族(父、母、兄弟、姉妹、祖父、祖母)を恋しく思うのか。あるいは、人はなぜふるさと(街並み、山川、学校、友、自然)を忘れることができないのか。これは、実は、非常に重要かつ根源的な疑問です。
一言で言いますと、そこに「愛の思い出」(愛したという思い出、愛されたという思い出)がぎっしりと詰まっているからです。生まれてはじめてこの世界を見た思い出の場所が、家族であり、ふるさとです。初めて見たのが母親であり、父親であり、それから、兄であり、姉であり、結局、家族という心情的環境の中で愛の絆が生まれました。生まれた場所の自然や街並みも、この世界で初めて目にした環境世界です。すべて新鮮な思い出であるからこそ、永遠に脳裏に焼き付いた思い出となったのです。家族やふるさとを歌う歌が涙を誘うのも、愛の思い出が心に沁みついていて貴いからです。
家族のうた、ふるさとの歌は愛の原点
「愛は家庭に住まうものなんですよ。子どもを愛し、家庭を愛していれば、何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ」とマザー・テレサは述べていますが、まさにその通りです。なぜ人は愛を歌うのかと言えば、愛こそは家庭に芽生え、家庭ではぐくみ、家庭での原体験を不可避なものにしているからです。
文芸評論家の小林秀雄は、「思い出のないところに故郷はない」と言い、その故郷は「確固たる環境がもたらす確固たる印象」が詰まっている所だと述べています。「故郷ということばの孕(はら)む健康な感動」とも言っていますが、彼の言う「健康な感動」こそ、「愛の感動」にほかなりません。
愛の原点を訪ねると、そこには必ず家族があり、ふるさとがあるという結論を誰も動かすことはできないのです。だから、人は家族を歌い、ふるさとを歌うのです。