機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・音楽編(14)

芸術と家庭・・・音楽編(14)local_offer

吉川鶴生

家庭の理想から一歩も外れない

メンデルスゾーンの家庭環境

メンデルスゾーン肖像画

音楽史上、最も裕福な家庭環境に生まれ育ち、19世紀のロマン派音楽時代に作曲家として名を成したのが、フェリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809~1847)です。

祖父のモーゼスは、ヘブライ文学者で、美学や哲学について多くの論文を残しています。カントは、当時の哲学者の中で、モーゼス・メンデルスゾーンは最も優れた者のひとりであると評しています。

モーゼスの次男であるアブラハムは、作曲家フェリクス・メンデルスゾーンの父ですが、彼はパリの銀行で出納係として働いたのち、ハンブルクで兄ヨーゼフの銀行に勤め、共同経営者として、その銀行を大きく発展させました。アブラハムはベルリンの市参事会会員に選ばれています。アブラハムの妻レアの実家も大実業家の家庭でしたから、フェリクスの父も母も共に富裕家庭であったというわけです。

フェリクスは長男ですが、上に二人の姉、長女のファンニと次女のレベッカ、下に弟、次男のパウルがいます。兄弟仲は非常によく、フェリクスは父母の愛を受けて、優秀な家庭教師たちに教えられながら、聡明な子供として成長していきます。

母親のレア・ソロモンは、フランス語、英語、イタリア語を話し、ピアノを弾き、美声で歌うという多彩な才能に恵まれた女性でした。レアの祖父は、当時、ベルリン一の大金持ちでもありました。母のレアは、フェリクスにピアノの手ほどきをしました。作曲家メンデルスゾーンの背後にあって、母の存在と影響は非常に大きなものがあったと言えるでしょう。

メンデルスゾーンの音楽

メンデルスゾーンの音楽は、その特徴を簡潔に言えば、非常に美しく、流麗であり、優美だということです。ロマン派の時代の音楽は、古典派と違い、喜怒哀楽の感情の起伏が大きく、音楽表現としての要素が複雑です。

また、ロマン派は半音階の多用が顕著でしたが、その時代の流れに、必ずしも乗らない立場を貫いていたのが、メンデルスゾーンです。

彼の敬愛する作曲家は、バッハであり、モーツァルトであり、ベートーベンでした。メンデルスゾーンは、ワーグナーのような半音階の多用を極力避ける作曲技法に立っていたため、彼の音楽は健全、明朗、清潔、軽快、上品といった曲調が際立つことになりました。言葉を換えれば12音階の中の、全音階的な七つの音を中心的に用いる手法を採り、聞きやすい音楽にしたということです。

およそ750曲もの作品を書いたメンデルスゾーンですが、16歳の時の「弦楽八重奏曲」や17歳の時に書かれた「真夏の夜の夢序曲」を聞いても、その音楽の完成度に感嘆せざるを得ません。

メンデルスゾーンの作品の代名詞のようになっている「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」(1844年、
35歳)は、ロマン派音楽の代表曲であり、「交響曲イタリア」(1833年、24歳)のような比類なき躍動感を持った曲は、若きメンデルスゾーンの天に昇り、地を駆けるごとき精神そのものを表すものでしょう。

メンデルスゾーンの音楽で見落としてはならないのは、宗教曲に名曲が多いということです。メンデルスゾーンの「エリヤ」は、彼の代表作の一つであり、ヘンデルの「メサイア」、ハイドンの「天地創造」と並んで、秀逸なオラトリオと評価されています。「交響曲第5番宗教改革」もまた、人気の高い曲です。何かを新しくするという改革の気運が感じられます。

家庭を大切にしたメンデルスゾーン

メンデルスゾーンは、勤勉で、誠実、物腰が柔らかく、柔和でした。彼の肖像画からも、その人柄を窺うことができます。メンデルスゾーンの家庭を考える時に、重要な要素となるのが、ユダヤ人の家庭であるということです。非常に家庭を大切にし、家族の結束が強いユダヤ的伝統が、そのまま、メンデルスゾーンの家庭に当てはまります。ただし、ユダヤの家庭ですが、家族はキリスト教に改宗しています。

メンデルスゾーンの妻は、10歳年下のセシル・ジャンルノーで、フランスのユグノー教徒の家に育ちました。家庭的な性格を持ち、夫との間に三男二女の5人の子供を儲けました。

子供たちは、三男が8歳で亡くなるものの、男女みなそれぞれ立派に成長して、立派に生きたと言えます。家庭の理想を重んじ、それから一歩も外れないという家族主義のメンデルスゾーンでした。