芸術と家庭・・・音楽編(17)local_offer芸術と家庭
吉川鶴生
最後は聖職の道に進んだリスト
19世紀の音楽界を飾ったリスト
フランツ・リスト(1811~1886)と言えば、ピアニスト、作曲家として知られていますが、特に、「ピアノの魔術師」と呼ばれるほど、超絶的な技巧を持つ最高のピアニストとして、人気の高かった人物です。
彼はハンガリー生まれですが、父母共にドイツ系オーストリア人ですから、厳密にはハンガリー人(マジャール人)ではありません。同時代人として、一方に「ピアノの詩人」であるショパンがいて、もう一方に「ピアノの魔術師」リストがいたという対比は、面白く感じられます。二人は深い友情で結ばれていました。
19世紀のヨーロッパ音楽界の主要な人物たち(古典派からロマン派まで)とは、ほとんどすべてと言ってよいほど、リストは社交関係を結んでいて、その顔の広さはヨーロッパ社交界の花形であったと言ってもよいほどです。
11歳の時からヨーロッパ各地で演奏会を始めていますから、リストにとっては、欧州全域が我が家のようなものであったのかもしれません。社交関係、友人関係が広かったことは、彼の性格、人間性によるところが大きかったとみてよいでしょう。自己顕示欲が強い反面、対人関係では、相手に惜しみない愛情を注ぐ性格で、人好きのする、憎めない人物として感じられたことでしょう。
リストの華麗な演奏スタイルは、聴衆を魅了し、長身で優雅な物腰は人々に好印象を与えました。特に、社交界を彩る女性たちのリストに対する熱狂は大変なものでした。そのせいで、恋愛の多い人生を送ります。しかし結局、正式に結婚した相手はいないままの生涯となりました。理想の結婚、理想の家庭を望んでいなかったわけではないでしょうが、とにかく、結婚式を挙げられない複雑な愛の関係を結んだことから、正式な結婚に到達できなくなってしまったのです。
荘厳華麗な響きと超絶技巧
リストは様々な作品を幅広く残していますが、よく知られ、人気の高い作品は、ピアノ曲の中に多く残っています。
超絶技巧練習曲の「マゼッパ」、パガニーニ大練習曲より「ラ・カンパネラ」、「メフィスト・ワルツ第1番」、「ハンガリー狂詩曲第2番」、「愛の夢」などは、特に、ポピュラーな曲として知られています。
ショパンのピアノを聴くときと、リストのピアノを聴くときとでは、同じピアノの音でも、何か違ったものを感じます。どちらかの優劣というよりも、作曲家のそれぞれの個性の違いです。ショパンのピアノはささやくような、そよ風のような響きがありますが、リストのピアノ・パフォーマンスは、超絶技巧を用いるときなど、華麗な響きで聴く人々を圧倒します。
とりわけ、「ハンガリー狂詩曲」の荘厳華麗な響き、誇大優雅の気風などは、リストの顕示欲がよく現れています。それとは対照的に、「愛の夢」の、夢見心地の世界へ誘う音響は、リストのもう一つの世界です。リストの音楽は、彼の多面性を物語っています。
華やかさの裏で真実を求めたリスト
リストは、非常に華やかな人生を送りましたが、その享楽的な世俗性をそのまま受け入れていたわけではないかもしれません。なぜなら、彼が生涯にわたって示した宗教への憧憬は、ただの宗教世界への憧れというよりも、彼自身が聖職者になるという揺るぎない決意になっていったからです。ここに、彼の秘密を解く一つの鍵が隠されているように思われます。
リストは、内縁の妻を、二人持つという人生を送っています。マリー・ダグー伯爵夫人と恋に落ち、1835年から約10年間、同棲生活を送り、3人の子供を儲けています。もう一人は、カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人で、1847年に恋に落ち、正式な結婚を望みましたが、カトリック教会は二人の結婚を認めませんでした。そして、リストは1865年より死を迎えるまで、カトリックの僧籍に入り、聖職の道を歩むのです。
一体、このようなリストの変貌をどう理解したらよいか。素直にそのまま取れば、人生の懺悔であり、かつ、本当の愛に基づいた結婚と家庭生活を送れなかったことへの悔い改めであるとみたいところです。そのようにして、人生を終わろうとするときに僧籍に身を置くことによって、真摯に償いたいという思いがあったのではないでしょうか。