機関誌「真の家庭」publication

APTF 公式サイト機関誌「真の家庭」芸術と家庭・・・音楽編(22)

芸術と家庭・・・音楽編(22)local_offer

吉川鶴生

家族の幸せのために

交響詩:ツァラトゥストラはかく語りき

映画『2001年宇宙の旅』で、そのオープニングを飾った音楽が、リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)が作曲した交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』(1896年作)です。この映画に使用されたことによって、「ツァラトゥストラはかく語りき」は、あまりにも有名な曲になりました。皆さんもきっと、耳にしたことがあるでしょう。ニーチェが書いた同名の思想的な詩を、シュトラウスは音楽において交響詩として完成しました。

リヒャルト・シュトラウスは、後期ロマン派を代表するドイツの作曲家ですが、主に、オペラ、歌曲、交響詩などにおいて、多くの作品を残しており、また、非常に優れた作品が多いことで知られています。父のフランツ・シュトラウスがミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者であったため、幼いころから音楽的才能を開花させる環境に恵まれていました。

彼が遺した交響詩の作品の中で有名なものは「ドン・キホーテ」(1897年)、「ツァラトゥストラはかく語りき」(1896年)、「死と変容」(1889年)、「英雄の生涯」(1898年)などです。交響詩とは、管弦楽によって演奏される標題音楽のジャンルにあって、作曲家がそれを交響詩と呼ぶものを指します。楽曲の形式は全く自由で、文学的、絵画的な内容と結び付けられることが多く、ロマン派ないし後期ロマン派の作曲家たちが多く取り組んだ標題音楽の管弦楽です。ロマン派音楽は文学的なもの、絵画的なものとの親和性が高いと言えます。

交響詩を多く残したフランツ・リストの死(1886年)の後、リヒャルト・シュトラウスは交響詩を立て続けに発表しています。彼の代表作は、1890年代に集中しています。彼の作品を時系列で考えると、1898年以前を「交響詩の時代」、それ以後を「オペラの時代」と見ることができます。

オペラ作品に秀作を遺す

リヒャルト・シュトラウスは、実に多くのオペラ作品を書きました。なかんずく、「サロメ」(1905年)、「エレクトラ」(1908年)、「ばらの騎士」(1910年)の3作品は、人気が高く、世界中のオペラファンに愛されてきました。交響詩は、言葉はなく音だけですが、オペラになると音に言葉が付いてきます。しかし、どちらも文学的、絵画的であり、ドラマティックであることが観客を惹きつけるという点で共通しています。

「エレクトラ」は、ギリシャの詩人ソフォクレスの原作ですが、シュトラウスと台本担当のホフマンスタールが組んで、壮絶な復讐オペラに仕立て上げました。「ばらの騎士」も同じく、シュトラウスとホフマンタールのコンビで完成させた大作です。モーツァルトの「フィガロの結婚」に似た作品とも言え、現在でも、世界的な人気を誇っています。

オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」を、オペラ作品に仕上げたのがシュトラウスの「サロメ」です。新約聖書を見ると、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻へロディアを妻として迎えることを洗礼ヨハネが道義的に問題視し、非難したという話が書かれています。へロディアはこれに激怒し、娘のサロメを使って洗礼ヨハネを殺そうと画策します。母からそそのかされたサロメは、祝宴で舞をうまく踊った褒美に洗礼ヨハネの首が欲しいと告げました。ヨハネは首を刎ねられ、その首がヘロデ・アンティパスのもとへ届けられました。このような悲劇的な聖書の話をもとに書かれた戯曲をシュトラウスはオペラ化したわけです。

健全な家庭を築いたシュトラウス夫妻

リヒャルト・シュトラウスは一人の妻以外には如何なる女性とも関係がなく、非常に潔癖な愛の関係を妻パウリーネとの間に築きました。

一生懸命働き、お金を稼ぐ姿を見て、周りの人は言いました。どうしてそんなに働いてお金を稼ぐのかと。リヒャルトの「妻と子供のためである」という返事に誰も言い返す言葉がありませんでした。

彼の家庭は、家族の中に笑いと幸福がありました。彼は本当に家族を愛しました。彼の作品に「家庭交響曲」(1903年)という曲があるのを見ても、それは分かります。家族第一、家族の幸せを優先する態度に、文句などつけられません。パウリーネに捧げた曲も多く、夫婦円満な一生を過ごしました。